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白洲正子が語る、骨董の目利きになる法

白洲正子と骨董

Pen : Pilot – Elabo (SF)
Ink : Sailor – Okuyama

バブルがはじけて、今度は文化だということになり。私などのところにまでブンカブンカドンドンとマスコミが押しかけて来る。そんなことに一々驚いていては身が持たない。彼ら-といっても、私の場合はおおむね編集者であるが、先ず訊くのは、どうしたら骨董がわかるか、ということである。
 さあて、と私は考える。
 あたしにもわかんないのよ。自分が好きなものを知ってるだけ。
 それをどうやって見つけたんですか?
 好きなものと付き合っている間に、骨董の方から教えてくれたの。五、六十年もやって、やっと骨董にも魂があるってことを知ったの。その魂が私の魂と出会って、火花を散らす。といっても、ただ、どきどきするだけよ。人間でいえばひと目惚れっていう奴かな。そして、どきどきさせるものだけが美しい。

白洲正子 : 私の骨董
====================

 先日、家族で東京国立博物館へ行ってきました。
東京国立博物館

 国宝の器を見ていた時に思いました。

―  国宝の器も、100円ショップで売られている器も、どちらも土をこねて焼いたもの。 価値がわかる人にとって、この器は値段をつけられないほどの価値を持つ。しかし、わからない人にとっては、100円ショップで売られている器と何の違いも無い。“骨董”って何なのだろう? 骨董に興味を持つ人、持たない人、どっちが幸せなのか。持たない人の方が余計な金をつかうこともなく、幸せなのかもしれない  ―

 そんな折、白洲正子のことを思い出しました。

 白洲正子は、華族出身で、「かくれ里」 をはじめとして数々の随筆を遺された方。骨董の目利きでもありました。
白洲正子

 上述の言葉を目にしたとき、私のなかで引っかかるものがありました。

 正子は、編集者から 「どうしたら骨董がわかるか」 と何度も聞かれたと言うのです。
 
 編集者の問いは、読者の声を代弁したものでしょう。すなわち、骨董がわかるようになりたい、目利きになりたい、と思う人が多いということなのです。

 「骨董がわかるようになりたい」 と人が願うとき、その理由は何なのでしょうか。私は次の3つに分かれると思うのです。

1) 「開運! なんでも鑑定団」 の影響を受け、お宝をゲットして大儲けすることに憧れるようになったから
2) 「骨董がわかる人」 になると、人から 「文化人」 あるいは 「教養ある人」 という目で見てもらえるようになる。そんな存在に自分もなりたいから
3)  骨董品に興味をいだくようになったけれど、何が価値を分けるのか全然わからない。その謎を知りたいから

 正子の孫である、白洲信哉さんが書かれた 「白洲家の流儀」 という本を読むと、生前の正子にまつわる様々なエピソードが記されています。
白洲家の流儀

それを読むかぎり、正子は1)と2)のタイプの人を嫌ったであろうなあ、と思います。3)のタイプの人について、正子は否定はしなかったでしょうけれど、お友達には入れてもらえなかったはずです。すなわち、1)~3)、いずれのタイプも正子からみれば邪道であり、「骨董をわかるようになりたい」 なんて考える必要はない、ということになりましょう。

上の言葉にあるように、正子は骨董の目利きになろうと思って勉強を積んだ人ではありません。自分が興味を持つことを、あれこれ調べ、学んでいるうちに、自然と目利きになっていたのです。

そもそも骨董は、「○○道」 のように上達法が確立されている芸の世界とは異なるのですから、目利きになるための方法なんてありはしないのです。したがって、目利きになるためには、正子の通った道を辿る以外にありません (*プロの鑑定士は商売ですから、骨董を楽しんでいるわけではなく、それは“目利き”とは別なカテゴリーに属すものと私は考えています)。

 「白洲家の流儀」 の中に、正子が述べた次の記述があります。

 「道草が大事なの。人間は道草をしないとダメよ。私なんて、道草をしながら生きているようなものね。旅も一緒よ」

 この言葉は、前稿でお伝えした灘校の橋本 武先生の言葉と同じです。そこに人生を楽しむ極意があるはずです。

 正子のように道草をし、経験を積み、知識を増やしていくと、その先に、「骨董にも魂があるってことを知ったの」、「どきどきさせるものだけが美しい」 という世界が見えてくるのではないでしょうか。それこそが、真の文化人であり、教養ある人であり、人生を楽しんでいる人だと思うのです。

たとえ、プロの骨董商から見れば値段がつかないような安物であっても、「このモノには魂が宿っている。美しい」 と感じるものを見い出し、持ち、愛することができた人は、人からどう見られようと、「骨董の目利き」 として、一歩を踏み出したといえます。

白洲正子が友人として愛したのは、そんな人たちだったはず。

私も、天国にいる正子から 「あなた、いいセンスしているじゃない」 と声をかけてもらえるよう、値段にかかわらず、身の回りのモノ、ひとつひとつに、こだわってゆきたいと思います。道草を続けるうちに、ドキッとするモノが見つかると信じて。
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