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高倉 健さんの美しい生き様

高倉 健の生き方

3776西sai         :  プラチナ万年筆
ヴァイオレットパープル : エルバン

週間文春 2014年12月4日号
高倉健 「最後の日々」

元ヤクザから見るとダンビラ(日本刀のこと)や拳銃持って向ってくるシーンを演じてヤバイと思わせる俳優は、高倉健と丹波哲郎だけさ。(中略)ただ、健さんが本物のヤクザになっていたら、多分親分にはなれないさ。親分というのは、卑怯でズル賢くなかったら生き残れない。健さんはまっすぐで勇敢すぎるから、早く死んでしまっただろうな。

安部譲二 (作家)
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高倉 健さんが亡くなれて、多くの方が追悼文を寄せられていました。その中で、作家の安部譲二さんのコメントを見て、なるほどな、と思いました。

ヤクザにかぎらず、軍隊だろうが、役所だろうが、政党だろうが、企業だろうが、PTAのような非営利組織だろうが、組織における親分として欠かせない才能のひとつは、 「卑怯でズル賢いこと」 なのかもしれません。

高倉健さんの生き様は、映画もそうでしたが、実生活でも 「卑怯でズル賢い」 というところから、最も縁の遠いものであったように感じます。

健さんのように、まっすぐで勇敢な生き方は、「損か得か」 の価値観で言えば、「損」 でしょう。 「バカか利口か」 と言われれば、「バカ」 です。

そういう生き方でも通用するのは個人の力で生きていく世界に限られます。一方、現代において個人の力で生計を立てられるのは一握りの人だけであり、ほとんどの人々は、組織に守られて生きています。

組織で生き残っていくために、人はズル賢い面を持たざるをえない。これが人間の性であり、ゆえに組織内におけるゴマスリは絶えることなく永遠に続くものでしょう。

我々が高倉 健さんに深い共感や感動を覚えたのは、自分の実生活では貫徹できない、「ズル賢い」から縁遠い生き方、すなわち、バカで損な生き方に、「美」 を感じたからではないかと思うのです。

もしかすると、高倉 健という人は、自らの生き様を 「アート作品」 として表現していたのかもしれません。

さて、自分の会社人生を振り返ってみると、「損得」 なら得を選び、利口な生き方を選んできたように思います。そのおかげで、クビにもならず、ここまで家族を養ってくることができました。

けれども、50歳という節目も近づいてきて、バカで損かもしれないけれど、仕事でも美しい生き方を優先していきたいな、と思うようになりました。

自分の引退後、後輩たちから 「あの人はズル賢かったね」 と言われたくない。

「あの人は高倉 健さんみたいに、不器用でまっすぐだったね」 と言われたら最高です。
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