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岡本太郎 - 本職を「人間」とした人

岡本太郎 人間が本職
シェーファー : プレリュード (M)
シェーファー : ターコイズ

岡本太郎 : 歓喜

私にとっては衝動を実現するということが問題なのであって、結果はじつは知ったことじゃない。美しかろうが美しくなかろうが、うまかろうがまずかろうが、ひとがそう判断しようがしまいが、構わない。芸術ってのは画面じゃなくて、つまりそういうエモーションの問題だけだと思うからだ。
人のために美しいものを描くというよりも、生命のしるしを、自分に確かめる。あたかも重畳(ちょうじょう)とした山嶺をいくつもいくつも自分の足下から全身に確かめ、ぶつけながら、走破してゆく気持ちと同じだ。
(「衝動から実現まで ― 私の創作過程」より)

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岡本太郎は芸術家、さらに言うならば画家と見られていますが、彼自身はそう考えていませんでした。「歓喜」という本に次の記述があります。

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ある人が言った。
「あなたは絵描きさんでありながら、さかんに文章も書くし、いったいどっちが本職ですか。」
「本職? そんなのありませんよ。バカバカしい。もしどうしても本職って言うんなら、『人間』ですね。
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「”人間”が本職」って、人を喰ったような言葉ですよね。当時の世間は、こうした岡本の表面の姿だけをみて、笑いの対象にしているようなところがありました。

私も子供の頃は何も知れなかったので、岡本のことは「変なオジサン」くらいにしか思わなかったのです。しかし今、彼の残した言葉を読んでみると、「”人間”が本職」という言葉は、岡本が本気で発していた言葉であり、それを実践していた人であったことがよくわかります。

”人間”を本職とし、”人間”を表現しようとし続けた人。岡本太郎という人を語るとすれば、そこに行き着くのではないでしょうか。

「歓喜」には次の記述もあります。

++++++++++++++++++++
私は思うのだが、人間のほんとうに生きている生命観が、物として、対象になって、目の前にあらわれてくれば、それは決して、ほほえましいものなどであるはずがない。むしろ、”いやな感じ”に違いない。きれない風景だとか、美女のムードのような、すかしたものではない。
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もし岡本本人が、自分の作り上げてきた作品の数々を流れるものは何かと聞かれたら、上述の言葉になったでしょう。この言葉を念頭に置いたうえで岡本作品を鑑賞すると、見えてくるものがあると思うのです。

岡本太郎は個人に絵を売らなかった、と言われています。ではどうやって生計をたてていたかというと、文筆や公演活動、そして公共施設における芸術作品の製作においてです。

彼はなぜ絵を売らなかったのでしょうか?

― 自分の描いた作品は「生命」そのもの。全ての生命は尊いものであるが故、その生命に値段なんて付けようがない。別な形で言うならば、自分の造り上げた「生命」に値段なんて付けてほしくない ―

彼の本心をそこにあったのではないかと私は思います。

逆に言うならば、生涯、絵を売ることを拒否したという彼の生き様が、「”人間”が本職」であったことの証ではないでしょうか。

岡本太郎は、生前、所蔵作品を美術館に寄贈します。
岡本太郎美術館

― 自分の描き続けてきた「生命」を皆に感じて欲しい、分かち合って欲しい、「生命」は皆のものなのだから ―

そんな気持ちで、寄贈されたのでしょう。

生涯を通じて「人間」を貫いた岡本太郎。日本が世界に誇る、偉大な芸術家でした。その業績は世界レベルでもっと高く評価されてしかるべきだと思います。
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