村上 龍も苦しむ「サッカーを表現する」ということ

村上 龍の語るサッカー表現の難しさ
村上 龍 : Mundial 2002 世界標準を越えて

ペン  : モンブラン ・ 146 (EF)
インク : ペリカン ・ ロイヤルブルー

サッカーというスポーツは歴史とか物語性が排除されてしまって瞬間的な運動性身体性が突出するところがすばらしいのに、歴史や物語を使って説明しなければそのすばらしさを伝えにくいということが寂しいのだ。(中略)サッカーのワンプレーには恐ろしい情報量が含まれていて、それは本質的に歴史や物語性を拒否する。

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2005年12月30日、初めて村上 龍さんのこの文章を読んだとき、今ひとつ理解できませんでした。

「サッカーのワンプレーには恐ろしい情報量が含まれていて」ここはわかるのです。

問題はその次、「それは本質的に歴史や物語性を拒否する」、これは何を意味しているのか? 気になって、ノートに書き留めていました。

それから10年弱を経た今、ノートを読み返してみて、わかったように思います。

サッカーは 「詩的」なんですね。感性の世界なのです。しかし、詩の形では読者に、その素晴らしさを伝えることができません。そこで、歴史や物語といった、論理のパワーを行使して説明しなければならないわけですが、天才、村上 龍をしても「そのすばらしさを伝えにくい」。それがサッカーというスポーツの本質なのでしょう。

前稿、「村上 龍の考える映画監督とサッカー監督の共通点」で、「野球とサッカー」、「オーケストラとジャズ」という形で対比しましたが、これをマトリックスにまとめたものが次の表です。
思考と論理の関係

今回は「電車の運転手とパイロット」という対比も加えています。

これはどういう事かというと、大雪が降った、地震が起きた、線路に人がいる、といった特殊な状況を除き、電車の運転手はマニュアルに沿って、時間どおり正確に運行することが求められる職業です。個人の創造性を発揮する余地はありません。

一方、パイロットは、常に変化する気候に応じた判断が求められます。例えば、目的地が霧で覆われているとき、上空で旋回して燃料が持つギリギリまで待機するのか、出発地に戻るのか、近くの別の空港に着陸するのか、全て機長の判断に任されます。マニュアルを越えた、クリエイティブな発想が必要とされる職業です。

「サッカーの選手、ジャズの演者、パイロット」、これらは、「直感的な思考」が求められ、「個々の判断に依存する部分が大きい」という職業です。それは同時に、そのコツや面白さを、言葉で表現するのが難しい職業、ということも言えるのです。

言葉で表現するのが難しい、とは言っても、サッカーの場合、監督が選手たちに対して、「俺のサッカー観は言葉では表現できないから、おまえたちの感性に任せる」と言っているようでは試合に勝てません。

上で村上 龍さんが 「サッカーのワンプレーには恐ろしい情報量が含まれていて、それは本質的に歴史や物語性を拒否する」 と述べているとおり、サッカー監督は、言葉というツールの限界を痛いほど感じながらも、言葉の持つ論理の助けを借りて、チームに自分の思想・哲学を浸透させねばならないのです。

前々稿 「長谷部 誠が日本代表の監督になる日」 で、「外国人監督では、日本は強豪国になれない」とお伝えしたとおり、サッカーというスポーツの特質上、日本語ですら監督と選手間のコミュニケーションは取りづらいものなのに、ましてや外国語では全然伝わらないのは自明の理でありましょう。

このことは逆に、海外でプレーする日本人選手にとって、成功するための重要な鍵は言語能力ということ意味しています。

言語では表現しきれない、しかし監督と選手は言葉でしかコミュニケーションが取れない、その大いなる矛盾がサッカーの難しさであり、楽しさだと思うのです。
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