

Pen : MONTBLANC - 146 (EF)
Ink : Pelikan – Royal Blue
ギリシア時代はユークリッド幾何学のように数理性の研究に多くの優れた業績を残したが、ギリシア人は黄金分割をはじめ、シンメトリー、ルート矩形など多くの数理的原理を好んで建築や美術ばかりでなく生活の中に取り入れた。人体の造形美に対してもあくなき理想を求め、ミロのビーナスをはじめ多くの残された塑像から、ギリシア人の理想の人体像をみることができる。
女神のプロポーションは頭部から臍までを1とすれば、臍から足の底までが1.168である。あくまで黄金比率を人体にあてはめようとする努力が見られて興味深い。
三井秀樹 :
美の構成学 ====================
人間は歳をとるにつれ、経験も蓄積されますし、行動する活力も衰えてきますから、「行ってみて初めてわかった」 という経験がだんだん減ってきますね。
パリについて、日本人は子供の頃からTV、本、映画といった媒体を通じて十分な情報を得ています。したがって、旅行する前、パリへ行ってもたいした驚きは無いだろうと私は思っていたのです。
しかし、実際に行ってみると、「行ってみて初めてわかった」 ということがいくつかありました。前稿のエッフェル塔がそのひとつ。本稿ではミロのヴィーナスについてレポートします。
まず、ルーブル美術館に入りますと、館内には「モナリザはこちら →」 というように、目玉作品への道順を示す案内板が掲示されています。
ミロのヴィーナスを目指して足を進めていたところ、ローマ時代に作られたと思われる彫像に出くわし、その迫力に圧倒されました。この手の持つ生命力をご覧ください。生きている人間の手、そのもののように感じました。

こんなすごい像なのに、ルーブルにはあまりにも有名な作品が多すぎるので、見る人は誰もいやしません。さすが世界のルーブル! もっと時間をかけて眺めていたかったけれど、時間がないので先を急ぎます。
すると見えてきたのはすごい人だかり。あそこにミロのヴィーナスがあるのか、とすぐにわかりました。

初めて目にした、人類の理想の美、ミロのヴィーナス。
しかし ――― 実際にナマで見たミロのヴィーナスは、私がこれまでの人生で持ち続けてきたイメージとは異なるものでした。
なぜなのでしょう?
まず横顔です。本稿の最上段にあげましたが、もう一度、ここにあげてみます。

「美の象徴」 と呼ばれるミロのヴィーナスですが、横顔は現代における基準からすると、決して 「非のうちどころのない美人」 とは言えないと思います。みなさん、どう思われますか?
こちらの角度から見たフェースは美しいと思います。しかし 「女神」 というより、「美少年」 に見えますよね。

続いて後ろ側の写真。

現代のスーパーモデルの下半身とは、だいぶ異なるフォルムです。
良く言うと、腰に安定感があります。
妻にはミロのヴィーナスに並んで後ろ向きのポーズ立ってもらい、写真を撮ってみました。画像を見せて、「君の腰まわりは、後ろからみると美の象徴であるミロのヴィーナスと似ていると、言えなくもないよ」 と伝えたら、「アンタ、バカにしているの!」と冷たい言葉を浴びせられました。寅さんではありませんが、「男はつらいよ」。ブログにこの写真を掲載すると、妻にケリを入れられそうだから止めておきます。
人垣をかきわけながらぐるりとビーナス像を一周してみて、近くから像を見る場合、一番美しく見えるのはこの角度だと思いました。適度に引き締まった腹筋、ほっそりした首筋、とても良いバランスです。

それでも、自分が長年イメージしてきたミロのヴィーナスとは、なにかが違うんですよね。ルーブル美術館を出てから、その理由を考え続け、思い至ったのは
「黄金比」 でした。
もう一度、「美の構成学」にある、上述の言葉をふりかえってみましょう。
「女神のプロポーションは頭部から臍までを1とすれば、臍から足の底までが1.168である」
そうなんです、ルーブル美術館において、我々はこの黄金比を見れないのです。
なぜなら、像は台座の上にあり、臍は鑑賞者の目線よりはるか上にあります。

このため、我々は足元から像を見上げる形となり、足は黄金比よりずっと長く見えてしまう、というわけです。
ミロのヴィーナスを正しく鑑賞するためには、正面から、下の写真の目線で見る必要があります。

これであれば、黄金比を実感できます。しかし、像の正面に台座を据えてその上に乗り、臍の位置に目線を合わせて鑑賞することなど、ルーブルの学芸員でもないかぎりできません。
ミロのヴィーナスの究極の美を鑑賞できるのは、限られた人だけ。それが現実であることを知ったしだいです。
ところで、「美の構成学」という本に、「黄金比はなぜ美しくみえるのか」 という面白い記述がありました。
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いったい、黄金比の1 : 1.618の比のとき、なぜ美しくみえるのだろうか。(略)
イタリアの数学者、レオナルド・ダ・ピサ (本名フィボナッチ) によって十三世紀のはじめに考案されたフィボナッチ級数という数列がある。これは0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144・・・と続く。つまり、前項と次項をプラスしたものがその次の項となる数列である。すると、ここに55:89が登場してくる。(略) 55:89以降は限りなく黄金比に近づくことになる。すなわち常に黄金比による相似性を持った数列なのである。
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89 ÷ 55 = 1.1618181…
144 ÷ 89 = 1,1617977…
不思議ですねえ。人間の感じる美が、数列に隠されているとは。。。
<追記>
かねてより、「ルーブル美術館で実際に目にするモナリザにはオーラが漂っている」 という話を耳にしてきました。
私も、そのオーラを感じられるかと思い、正月の初詣さながらに、人垣をかきわけ、最前列まで進みました。
初めて目にしたモナリザは、数メートル先のガラスケースの中に鎮座していました。

「自分にもオーラが感じられるのか」 ドキドキしながら見つめること十秒あまり。しかし、何も感じませんでした。美を感じるセンスが無いのか? ちょっとだけ落ち込み、モナリザの部屋を後にしました。
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