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“独創的な視点” と “ふつうの目”

吉村順三
ウォーターマン - エキスパート (中字) : ペン
エルバン - モクセイソウグリーン : インク

設計実務はときとして、寝食を忘れてのめり込むほど面白い。それだけに、注意しておかないと「設計のための設計」「ディテールのためのディテール」に陥りやすい。そうならないためには、「血走った眼」から「ふつうの目」に、自分を戻さなくてはならないのだが、これはそう簡単なことではない。そこまでずっと引きずってきた試行錯誤の余熱があるからだろう。もちろん住宅の細部には、突き詰めて考え抜いたすえに生み出される発想や工夫が欠かせない。けれどそれと同じくらい、「ふつうであること」もまた大切なことなのだ。私が吉村先生を尊敬するのは、数々の独特な発想や工夫でさえ、むしろふつうの目を通して考え、語られていたからである。

増田 奏 : 住まいの解剖図鑑
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建築家、吉村順三(1908年9月7日 - 1997年4月11日)の名は、NHKのプロフェッショナルに登場した、住宅建築の第一人者、中村好文さんについて調べていたときに知りました。中村さんは吉村順三に師事していたのです (下記は吉村順三の 「軽井沢の山荘」 )。
軽井沢の山荘 1962年

あの番組で中村さんをご覧になった方の多くは、「こんな建築家に家を設計してもらいたいなあ」と思ったことでしょう。私もその一人でした。一言で言うならば、中村さんの作品には、クライアントとなった家族に対する「愛」が感じられるのです。限られた予算、敷地面積、法規制といった制約がある中で、密なコミュニケーションを通じてその家族が家作りにおいて本当に必要とするものは何かを導き出し、中村さん独自の工夫を設計に織り込んだ、そんな作品です。

こうした中村さんのスタイルの根底には、吉村順三の思想が流れていると私は思うのです。それは建築家のエゴをクライアントに押し付けず、どういう設計にしたらクライアントが暮らしやすいかを真摯に考え続ける、というスタイルです。

上述の 「住まいの解剖図鑑」 を書かれた増田 奏さんも、吉村順三に師事された方です。その増田さんが、吉村順三の持つ 「ふつうの目」 を尊敬している、という興味深い言葉を残されています。

建築は芸術の一分野だと考えられていますが、絵や彫刻といった芸術と決定的に異なる点は、それが実用を目的としているか否かという点でしょう。「実用を前提とした芸術」という括りで考えると、高度な水準の料理や工芸なども同ジャンルに属します。

このように「実用を前提とした芸術」の場合、「ふつうの目」を持たない、作者のエゴが露わになっている作品は世間に受け入れられません。そのような工芸品や料理は、すぐに淘汰されてしまいます。建築の場合は額が大きいだけに、通常は実現に至りません。世が異常だったバブルの頃に作られて、今も残っている無残な建築物は別にして。。。

そんなわけで、「実用を前提とした芸術」に携わる方々には、“独創的な視点”と“ふつうの目”をバランス良く持つという、複眼的思考が決定的に重要な要素となります。名建築家、名料理人、一流工芸家、いずれのケースを考えてもこれは当てはまります。

では、画家や彫刻家のように「実用を前提としない芸術」に携わる方々には“ふつうの目”は必要ないのでしょうか。

あるいは、画家や彫刻家と対極にいる、我々、一般的なビジネスマンには“独創的な視点”は必要ないのでしょうか。

私は、全ての職業人にとって(もちろん主婦業も含みます)、“独創的な視点”と“ふつうの目”の複眼的思考が必要なものであると考えています。仕事を通じて産み出されるものが、作品として世間から評価されるための重要な条件のひとつは、それが作者の複眼的思考を経ていることです。

画家や彫刻家が“ふつうの目”を忘れてしまったら、その作業で生み出されるモノは、“ガラクタ”であって“作品”ではありません。ピカソの「アビニヨンの娘たち」も、ウォーホールの「マリリン・モンロー」も、彼らが“ふつうの目”を持っていたから高く評価されているのです。

アビニヨンの娘たち

ウォーホル モンロー

一方、我々は、日常のビジネスにおいて、雑務の山に追われているわけですけれど、そんな中でも、“独創的な視点”を忘れてしまったら、それは“作業”であって、“仕事”ではありません。作業からは作品は生まれません。

一本の電話、一本のメール、そんな日常業務において、たとえ些細な内容であろうとも独創的な視点が織り込まれたら、それはもう作品です。そうした小さな作品の積み重ねの先に、チームで作り上げる大きな作品が生まれると思うのです。

ビジネスにおける最強のチームは、メンバーそれぞれが作品を作り続け、互いがプロとして作品を認めあう、そんな環境を持っているのではないでしょうか。これはアーティスト集団と言い換えられます。

現代ビジネスにおける勝負は、他社より高い付加価値を顧客に提供できるか否かが鍵を握っています。

付加価値とは差異です。差異の創造は、アートの目指すところに他なりません。ビジネスとアートの距離は年々狭まる一方なのです。

そんな時代だからこそ、チームをアーティスト集団へ変えてゆく能力が、リーダーに求められていると言えそうです。
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大人こそ児童書を読んでみよう

ふかふかウサギ

パイロット - カスタム・カエデ (細字) : ペン
エルバン - ローズ・レッド : インク

ふかふかウサギは、しょんぼりして、星見窓にこしをおろすと、またひとつぶ、涙をおとして、耳をふった。
「ぼくが、どんなに星を愛してるかってことが、きみたちにはわからないんだ」
 そのようすが、あまりに悲しそうにしおれたようすだったので、クニとタキにも、ふかふかウサギの悲しい気もちが、だんだん伝わってきた。
ふたりは窓のほうへ目をうつして、よく晴れている冬の青空や、風に枝をゆすっている庭の木々をながめた。
窓のむこうのあかるい冬の太陽のきらめきも、庭の枯木の枝が白銀いろに光るようすも、何もかもがうつくしくて、じっとながめていると、そこらいっぱいにたのしい音楽が鳴りひびいているような気がしてきた。そして、ふたりには、夜空のウサギ座の星を見て、フルートを心の中で吹くウサギの気持ちがなんとなくわかるような気がしてきた。
うさぎ座

香山 彬子 : ふかふかウサギ
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私が子供の頃、繰り返し読んだ思い出の本、それが「ふかふかウサギ」です。
ふかふかウサギ

この本は娘に自分の思い出の本を読ませたいと思って購入して、本棚に眠ったままになっていました。それを休日、取り出して読んでみて、忘れていたストーリーを思い出した次第です。

この物語はウサギのトントンが主人公です。トントンは人間と会話ができて、天文に詳しく、音楽を愛するウサギです。「ウサギが人間と会話?」 と思ってしまいますが、ムーミンのような話と思えばイメージしやすいと思います。

上述のシーンは、小学4年生の女の子であるクニ、その弟で二年生のタキが、星に関する夢を語るトントンに対して、冷めたコメントで返答したため、トントンが悲しむところです。

大人になってこの本を読み返してみて、あらためて名作だと思いました。大人の私が読んでも楽しめます。この本は娘に繰り返し読んでもらいたいです。

「窓のむこうのあかるい冬の太陽のきらめきも、庭の枯木の枝が白銀いろに光るようすも、何もかもがうつくしくて、じっとながめていると、そこらいっぱいにたのしい音楽が鳴りひびいているような気がしてきた」 という箇所を御覧ください。なんと詩的な表現でしょうか。

春の桜や秋の紅葉をみて美しいと感じることは、誰でもできることです。

一方、冬の枯木を見て、そこに美しさを見い出すためにはセンスが必要です。

こうしたセンスは、たとえ持っていなくても、生きていくに際して困ることは何もありません。しかし、持っていると心が豊かになります。心が豊かになると人生が楽しくなります。

日本が豊かになった今、多くの家庭が子育てにおいて 「心の豊かな子になってほしい」 という願いを持っておられるように感じます。学習塾とは別に、ピアノやバイオリンをはじめとした習い事を子供にさせるケースが多いのはその影響でしょう。しかし、そうした習い事をさせれば 「心の豊かな子」 に育つのでしょうか。

たしかに、習い事をさせないより、させた方が「心の豊かな子」になれる確率は高まりそうです。それでも、習い事は決定打にはならないと思うのです。実際、私はこれまで 「ピアノの技術はあるけれど、心の貧しい人」 というのを何人も見てきましたから。

やはり、基本となるのは、「心が豊かとはどういうことか」 ということを親が理解することではないでしょうか。親がその点を理解していれば、例えば冬の枯木をみて、子供に 「あの木を見てごらん。キラキラしていてきれいだね」 と語りかけることができます。
冬の枯木

そのようにして愛情をもって語りかける数々の経験の積み重ねが、「心の豊かな子」 につながるのではないかと思うのです。

私はこれまで児童書なんて見向きもしませんでしたが、“ふかふかウサギ” にかぎらず、よい児童書には 「心の豊かさ」 を思い起こさせてくれるものがありそうです。子供といっしょに本を読み、その本のステキなところを語り合う。趣味の万年筆ばかりいじっていないで、そんなお父さんになっていかねばならないな、とちょっぴり反省しました。

ディア・ハンターを30年ぶりに観て解けた謎

ディアハンター ポスター

“モノ”は変わらなくても“自分”は変わり続けている、そんなことを感じた経緯をお伝えします。

1979年のアカデミー賞で作品賞をはじめ5部門を獲得した名作、ディア・ハンターは、その美しい旋律の音楽も含め、私の大好きな作品です。

「大好き」と言いましても、最後に観たのは高校生の頃でしたから今から30年前の話です。「いつか時間ができたとき、この映画をじっくり観てみよう」と思って数年前に買っておいたDVDを取り出して妻と一緒に楽しみました。

この映画に関しては、「ロシアンルーレットで有名な映画」 と言われれば、「ああ、聞いたことある」 という方も多いのではないでしょうか (下の写真は、準主役のニック役、クリストファー・ウォーケンがロシアンルーレットを行なうシーン)。
ロシアン ルーレット

念のため、結末を除き、この映画の途中までのストーリーをお伝えします (ウィキペディアを参考にしました)

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(ストーリー)
ピッツバーグ郊外にあるロシア系移民の町の製鉄所で働くマイケル (ロバート・デ・ニーロ)、ニック (クリストファー・ウォーケン)、スティーブン、スタン、アクセル、ジョンは休日になれば全員で鹿狩りに赴くごく平凡で仲の良いグループである。
そんな彼らにもベトナム戦争の影が迫り、マイケル、ニック、スティーブンの3人はベトナムに徴兵されることになった。
3名の壮行会とスティーブン、アンジェラ夫妻の結婚式も兼ねた華やかなパーティを終えた後、3名は出征する。
ディアハンター 結婚式

ベトナムの戦場において、マイケルは偶然にもニックとスティーブンに再会するものの、3人は捕虜となってしまう。
閉じ込められた小屋の中では世にも恐ろしい賭けが行われていた。ロシアンルーレットである。ベトナム兵たちは捕虜に一発の弾の込められたリボルバー拳銃を渡し、それを自らのこめかみに向け引き金を引かせて、それを楽しんでいた。
狂気のゲームが繰り広げられる中、3名は一瞬の隙をつき、収容所からの脱出に成功する。
その後、マイケルは無事に帰国したものの、ニックはベトナムで行方不明状態であること、また、スティーブンは手足を失い精神も病んだ状態で陸軍病院で療養中であることを知る。
ディアハンター 病院

マイケルがスティーブンのところへ見舞いに行ったところ、スティーブンから、南ベトナムの首都サイゴンより彼宛に謎の送金が続いていることを知らされる。
マイケルは、ニックが送金していることを直感的に覚り、陥落寸前のサイゴンへ飛んだ。
++++++++++++++++++++

久々に観て感じたのは、この映画はヨーロッパ人に好まれる作り方をしているな、ということでした。カメラワークや展開がスローなんですけれど、ストーリーやセリフはもちろん、細かい画面構成に至るまでマイケル・チミノ監督の美学が集約化されており、奥行きの深い映画になっています。

さて、この映画で私が30年間、理解できなかったのは 「(マイケルは) スティーブンから、南ベトナムの首都サイゴンより彼宛に謎の送金が続いていることを知らされる」 の部分でした。

この送金はサイゴンに残るニックからのものなのですが、なぜニックがスティーブンに金を送っていたのか?

その謎を解くヒントは、結婚式&壮行会の最後のシーンにありました。

結婚式を迎えて、アンジェラのお腹は膨らんでいましたが、お腹にいる子は、夫となるスティーブンの子ではありませんでした。それは次のシーンで明らかになります。

++++++++++++++++++++
スティーヴン「アンジェラとは寝ていない」

ニック 「そうか」

スティーブン「とっておきの秘密さ」

ニック 「忘れるんだ」

スティーブン「でも出産したら?」

ニック 「彼女の問題だ。お前は心配するな。気にするな」
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そう、アンジェラのお腹の子の父は、ニックだったのです。しかし、お人よしのスティーブンは親友のニックが婚約者を寝取った相手だとは気付いていません。ニックは冷静を装いながらも、自分の犯した罪の重さに苦しみます。

続く画面の展開を見る限り、同じ親友のマイケルは(デ・ニーロ)は、ニックがアンジェラを寝取ったことを、すでに感づいていたようです。ニックは自分の罪をマイケルに打ち明けようとしますが、結局、言い出せないまま戦場へ向かうことになります。

その後、戦場で九死に一生を得たものの、ニックは精神に異常をきたし、自分が何者であるかもわからぬほどに病んでしまいます。しかし、スティーブンに対する罪の意識だけは深層心理に残っていて、それが彼をして、ロシアンルーレット賭博で儲けた金をスティーブンに送金せしめたのでした。

私は妻に、「なぜニックがスティーブンに送金していたのか、理由がわかったよ」と話したところ、妻は納得しませんでした。

ところが、このDVDには、「マイケル・チミノ監督によるコメンタリー」という特典が付いておりまして、これを観たところ、監督は明確に「アンジェラのお腹の子の父はニックだ」と述べおり、これで妻も納得してくれました。ニックが送金を続けた理由についての語りはありませんでしたが、私は自説に自信を持っています。

ディア・ハンターにおける長年の謎がすっきり解けて嬉しく思いました。

それと同時に、ディア・ハンターという作品は変わらないままだけれども、この謎を解くために自分は30年という年月を要した、という事実に感慨深いものがありました。同じものを目にしても、昔は見えなかったものが今は見えてきるのかな、と。

今回、この映画をじっくり観たところ、細かいところで様々な謎を見い出しました。今の自分はそれが解けませんけれど、30年後の自分ならできるかもしれません。そうなれるように進歩を続けたいものです。

就活のキーワードはアート力である

就活のキーワードはアート力
モンテグラッパ - ピッコラ : ペン
モンブラン - バイオレット : インク


ナレーター: 坂本は自由な時間が多い学生時代に、こんなことをしておくとよいのでは、とアドバイスしてくれた。

= 自分の”作品”を作れ =

坂本 : 何か自分のその(学生の)間でいいから、作品集を作って、堂々と発表してほしいんですね。例えばね、歌のうまい人がいたらば、ギターで歌を5曲でもいいから完成して、そして自分のうちに10人くらい呼んで、そこで自分のリサイタルをする。短い時間だけれども自分の作品集を、100パーセント作った作品集を、残しておく。ですからこれは、制約された中でもって仕事をやるときでも、「自分はそのときやったんだ」と(いう自信につながる)。だからその、学生時代に「思いっきり倒れるまで歩こう」ということでもって「東京から青森まで歩いて倒れた」、それでもいいと思うんですよね。

坂本 孝 :プロフェッショナル 就職活動応援スペシャル (2015年3月30日放送)

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坂本 孝

坂本 孝さんは、中古本売買のブックオフを創業された方です。最近では「俺のフレンチ」をはじめとしたレストランの出店で大成功されています。

俺のフレンチ

坂本さんは「作品集を作って、堂々と発表してほしい」と述べられていますけれど、これは言い換えると 「(学生時代に)一生の思い出となる自分の”作品”を残してほしい」、ということでしょう。

作品は何でも良いのです。例えば、「学費は自分で稼がねばならず、アルバイトに追われて遊んでいる暇は無かった」という方であれば、「NHKの受信料徴収アルバイトを極めて、徴収率で地域トップとなった」なんていう話も立派な作品になりえます。

要するに、いくつかの困難を乗り越えて目的を達成した”軌跡”は、全て自分だけのオリジナル作品となる可能性を秘めているということです。

しかし、“軌跡”と“作品”は同じではありません。“軌跡”が“作品”になるためには、どうしても欠かせない要素があります。それは他人に伝えた時に共感を得られるものであることです。

“軌跡”を“作品”に昇華させるうえで、鍵になるのは審美眼だと思います。自分の作品を愛し、そのすばらしさを見抜く眼を持っている人ならば、「えっ、それが”作品”なの?」なんていう内容の軌跡であっても、意外な観点から面白さをわかりやすく伝え、優れた作品として他人に印象付けることができます。逆に、どれほどすばらしい軌跡を持っていても、審美眼がなければそれは作品になりません。

坂本さんの述べられた「自分の”作品”を作れ」の“作品”という言葉の意味を分解していくと、そのような意味が含まれていると私は考えます。

自分の作品を持つことは、一生の思い出になるだけではありません。就職の面接においても、それこそ圧倒的に有利なポジションを取ることができます。

自身を振り返ってみると、面接の際にチェックする重要なポイントは、その学生さんが作品を持っているか否かです。そこに注目する理由は“作品”と“仕事力”は直結すると考えているからです。

私は、業種にかかわらず、あらゆる仕事は作品になると信じています。自分が任された業務を、「作品にするんだ」という意識をもって行なうか否か。それが「仕事」と「作業」の分かれ目ではないでしょうか。作業で生み出されたものは作品になりえません。

学生時代に作品を残した人は、制約の多いビジネスの世界においても作品を残すことができる確率が高いと推測できます。逆に、作品として語れるものを持っていない人は、ビジネスにおいても作品を残せない確率が高いと思えてしまいます。

一見して面接における合否の判断基準は各社各様にみえますが、このように“作品”というキーワードでくくってみれば、企業の求める人材像は同じです。

学生の残す“作品”を広く解釈して“アート作品”と考えるならば、企業はその方のアート作品の製作能力や鑑賞能力、すなわちアート力を見極めているということになります。

そのように考えると、子供の頃からアートのセンスを磨ける環境に置かれた子はアート力を身につけることができて、就職でも強いということが言えそうです。いや、就職に強いだけではありません。人生そのものをもっと充実したものにしていくことができるでしょう。

私は子供の頃から美術の授業が嫌いだったし軽視していましたが、今は後悔しています。この反省をふまえ、娘には美術の授業がいかに大切であるかを訴え続けるつもりです。
高校 美術の教科書

坂本さんの言葉を目にして、そんなことを考えさせられました。

チリ代表の優勝は日本に希望をもたらした

チリ代表

前稿に続きまして、コパ・アメリカ(南米大陸選手権)の話を続けます。

この大会でアルゼンチンは準優勝でした。メッシはまたしても代表で栄冠を勝ち取れませんでした。チリとの決勝戦、PK戦で負けが決まった瞬間の、メッシの呆然とした表情は印象的でした。
呆然とするメッシ

準優勝とはいうものの、今大会のアルゼンチンは「目茶目茶」と言ってよいほど強かったです。FIFAのランキングで、アルゼンチンは現在、世界一位であるのもうなずけます。今のチームの力があれば、昨年のワールドカップで優勝していたであろうと私は思います。

アルゼンチン代表がどれほどすごいか、一例としてストライカーの得点ランキングをみてみましょう。

メッシ  : スペインリーグ 第二位
アグエロ : イングランドリーグ 第一位
テベス  : イタリアリーグ 第三位
イグアイン: イタリアリーグ 第四位

代表にはこの4人の他に、マンチェスターユナイテッドのディ・マリアというスーパースターがいます。

しかも、なんと贅沢なことか、イタリアリーグの得点王だったマウロ・イカルディは代表に召集されていません (素行に問題ありという監督の判断のようですが)。

このうち、試合に出れるのは3人しかいないのですから、いかに選手層が厚いか、おわかりいただけると思います。

アルゼンチン代表の話が長くなりましたが、今大会、そのアルゼンチンに勝って優勝したのはチリでした。

地元開催というアドバンテージはあったものの、チリは強かったです。

昨年のワードカップでも、チリはすばらしい戦いをしました。決勝トーナメントで地元開催のブラジルと戦い、0-0の同点で終わり、最後はPK戦で敗れました。

このことからわかりますとおり、昨年の段階ですでチリ代表は世界の強豪水準に達していましたから、今回のコパ・アメリカ優勝は番狂わせではありません。

今や強豪国となったチリ代表において、世界トップ水準の選手といえば、ユベントスのビダル (↓) と、
ビダル

アーセナルのアレクシス・サンチェス (↓) くらいです。
アレクシス サンチェス1

選手層という観点だけで考えれば、日本と大きな差があるとは思えません。しかし、それでも、世界のスーパースターが名を連ねるアルゼンチンと互角の勝負をしました。

チリ代表の平均身長は、昨年のワールドカップ時点で、大会参加32ヶ国中、最も低い175.9cm。日本代表は30位で178cmでしたから、ほぼ同レベル。ただし、筋力の差は感じました。下の写真は、アレクシス・サンチェスが、優勝の決まった瞬間、ユニフォームを脱ぎ捨てたところですが、御覧のとおり胸板の厚さがすごいです。チリの選手はこんなかんじの身体に鍛えていますので、少々のフィジカル・コンタクトでは弾き飛ばされないんですね。
アレクシス サンチェス2

「筋力アップはサッカーでは必ずしもプラスにならない」 という考え方もありますが、チリの戦いぶりを見ていると、日本代表選手の肉体改造は世界で勝ち上がるために必要なことだと感じます。

さて、チリ代表のゲームの運び方なんですけれど、これは日本の目指す姿に近いです。

前線からプレスをかけてボールを取りにいき、少ないタッチでゴールを狙いにいくというものです。

ホルヘ・サンパオリ監督の指揮のもと、このスタイルは徹底されており、チームとしての一体感はコパ・アメリカ出場チームの中でも図抜けたものがありました。

2015年7月9日時点、チリ代表はFIFAの世界ランクで11位です。日本は50位ですから、このGAPは大きいです。

しかし、平均身長も低く、超人的なスーパースターがいるわけでもないチリがここまで登り詰めることができたのです。日本もやってやれないことはないはずです。

チリの優勝は、「サッカーはチームの総合力で勝負するもの」 という、あたりまえのことを再認識させてくれたとともに、世界の弱小国の選手と国民に、希望をもたらしてくれたと思います。

ブラジルは2018年ワールドカップ予選で敗退する

2014年 ブラジル ドイツ戦

世界の老若男女に 「サッカーで一番強い国は?」 という質問をするとしたら、一番多い答えは 「ブラジル」 となるでしょう。

実際、ブラジルはワールドカップで最多となる5回の優勝を遂げていますし、第一回ワールドカップから連続出場を続けているのもブラジルだけです。

そのブラジルが地元開催となった昨年のワールドカップの準決勝で、ドイツに7-1と大敗した試合は記憶に新しいところです。

ワールドカップ後、ブラジル代表監督に就任したのはドゥンガでした。ドゥンガは1994年のワールドカップでブラジルが優勝したときの主将であり、その後、ジュビロ磐田でもプレーした人です。
ドゥンガ ジュビロ時代

ドゥンガの監督就任後、初めて挑んだ真剣勝負が7月4日まで行なわれたコパ・アメリカ(南米大陸選手権)でした。決勝は地元のチリがアルゼンチンをPKで下し、優勝することで幕を閉じました。
チリ優勝 コパアメリカ

このコパ・アメリカ、私は興味をもって多くの試合を観ておりました。

本大会に参加したのは12チーム。ブラジルは予選を2勝1敗で切り抜けたものの、決勝トーナメント一回戦となる準々決勝で、パラグアイと1-1と引き分けた後、PK戦であっさり敗退しました。

ブラジルのスーパースター、ネイマールは二試合前のコロンビア戦でレッドカードを受けたため、パラグアイ戦は欠場していました。
ネイマール 退場 コパアメリカ

このため、「ネイマールがいればブラジルはこんなもんじゃないでしょう。やっぱりブラジルはサッカー王国であることに変わりはないのでは」 という見方をする方もおられると思います。

しかし私は、たとえネイマールが出場し続けていたとしても、コパ・アメリカでブラジルは歯が立たなかったと見ています。それくらい、今回のブラジル代表は弱かった。というよりも、南米の他国が力をつけており、実力差が接近してしまったのです。

今大会で驚いたのは、各チームがブラジルに対して互角の勝負を挑んできたことです。これはブラジルがその輝かしいサッカーの歴史において、初めて味わった屈辱でしょう。

これまでのブラジル代表にはオーラがあり、対戦するチームは縮みあがっていました。南米でブラジルに対して互角の勝負を挑んでこられるのはアルゼンチンだけ。強国ウルグアイといえども、個人技で勝るブラジルに対してはカウンター狙い一本槍でした。

そんなブラジルが、ネイマールを擁していた予選の試合でも、強国となったコロンビアはもちろん、ペルーにまで真っ向勝負を挑まれたのです。ネイマールを欠いたパラグアイ戦は相手に押し込まれる展開となり、PK戦の結果は妥当なものでした。

仮にパラグアイとのPK戦で勝ったとしても、次の準決勝の相手は今や圧倒的な実力差がついてしまったアルゼンチンでしたので、勝つのはまず無理 (ちなみにパラグアイは6-1でアルゼンチンに敗れています)。準々決勝で敗退したことにより、ブラジルはアルゼンチンに大差で敗れるという汚名を浴びずに済みましたので、ある意味ではラッキーだったかもしれません。

さて、どうやらブラジルサッカー協会もコパ・アメリカの結果を深刻に受け止めているようで、ドゥンガ監督の更迭が噂されています。

有力な後任候補として名が挙がっているのは、レヴィー・クルピ。2007年から13年までセレッソ大阪の監督を務め、香川、清武、乾、柿谷といったプレーヤーを育てた方です。
レヴィー クルピ

ただ、これは私の直感なのですが、監督を変えたところでブラジル代表がそのオーラを取り戻すことは当面無いと思います。ひょっとしたら二度とないかもしれません。それくらい、ブラジル代表の弱体化は深刻です。

ドイツも10年ほど前は厳しい状況に追い込まれていました。しかし、ドイツは国民性のレベルにおいて、問題点を発見し解決する能力が高いため、危機を乗り越えて昨年のワールドカップで優勝を成し遂げることができました。

ブラジルにドイツと同じことは期待できない、私はそのように感じます。創造性に溢れ、観客を魅了するブラジルサッカーをもう見ることができないとしたら、サッカーファンとっては大変悲しいことです。

2018年のワールドカップで、南米の出場枠は4.5となっています。

アルゼンチンは当確。コロンビアとチリも90%以上の確率で予選突破するでしょう。スアレスやカバーニといったスーパースターを抱えるウルグアイも80%以上の確率で突破しそうです (ちなみに今回のコパ・アメリカでスアレスは欠場)。

そうすると残りは0.5枠です。これを残りの国で争うわけですが、南米予選は標高3,537mのボリビアや2,780mのエクアドルといったスタジアムでの試合が待ちかまえており、予選を勝ち抜くのはわれわれが想像する以上に困難です (下の写真はボリビアの首都、ラパスにあるエルナンド・シレス スタジアム)。
エルナンド・シレス スタジアム

このように考えると、ブラジルが2018年ワールドカップ予選を突破するのは厳しいのではないでしょうか。これまでワールドカップ出場はブラジルにとって 「指定席」 でしたが、次回出場できる確率としては60%程度ではないかと私はみています。

ブラジルが出ないワールドカップ? そんな信じられないような事態が起こるかもしれません。

日本人の感じる時間の速度とは

日本ブランドで行こう

カスタム ストライプ (パイロット) : ペン
ブラウン (ペリカン) : インク

日本は古い国だけど、いまの日本の社会は非常に新しいんですね。 (中略)
言葉そのものが変わったね。マーク・トウェーンは100年以上前の作家ですが、まったく今の言葉として楽しく読めるわけです。でも明治時代の本を、いま誰が読めますか。まして江戸時代の文章。江戸の文章といっても、たかだが150年前ですよ。その意味で言葉も変わったし、いろいろなことが変わって断絶があったんです。イギリスは一度も断絶なく続いた国だから非常におもしろいですね。

アレックス・カー : 「日本ブランド」で行こう
日本ブランドで行こう

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アレックス・カーさんのことは、2007年に放映された「情熱大陸」という番組で知りました。テレビにはあまり登場されまていませんが、純粋なアメリカ人でありながら日本文化に精通されている方で、著述業をはじめ様々な活動をされています。
アレックス カーさん

そのアレックスさんは 「日本は古い国だけど、いまの日本の社会は非常に新しい」 と述べられています。これは日本人には思いつかない、ユニークな視点ではないでしょうか。

アレックスさんがそのように考える根拠のひとつとして日本語の文章をあげておられます。たしかに、明治時代の文章でも、我々は読むのに苦労します。ましてや江戸時代の文章となれば、それは「古文」となり、大学受験で古文の勉強をしても、なかなか読めるものではありません。

一方、英語の文章はかなり昔のものでも、ほとんど違和感なく読むことができるのです。たとえば300年近くまえの1719年に書かれた 「ロビンソン漂流記」。私がざっとみるかぎり、現代英語とのギャップは感じません。(下の写真はロビンソン漂流記の初版)
ロビンソン漂流記 初版

考えてみますと、ヨーロッパでは「300年前につくられた家」などに、現在でも普通に人が暮らしていたりします (もちろん内部のリフォームは必要です)。日本は木造建築が多いせいもありますが、300年前につくられた家に暮らす人なんて皆無ですよね。

こうした背景から私が考えたのは、「時間に対する体感速度が、西欧人と日本人では全然違うのではないか」 ということです。

すなわち、イギリスを例にしますと、彼らは300年前の家に住み、300年前に書かれた本を普通に読めるわけですから、300年という時間は身体感覚でとらえられる、短いスパンなのではないでしょうか。

一方、多くの日本人にとって、300年という時間はとんでもなく遠い昔のはずです。

ということは次のようにも言えると思うのです。

仮に平均寿命を80年とした場合、西欧人にとって80年の人生は 「短い時間」。これに対して日本人にとって80年の人生は 「長い時間」。

したがって、西欧人は 「短い人生、精一杯、楽しまないと」 という発想になり、濃密な時間の使い方をしていると言えそうです。稼いだお金に関しても、貯蓄より消費を優先する思考特性となるでしょう。

これに対して日本人の場合は、双子の姉妹で100歳を越えた、きんさん、ぎんさんが、テレビ出演で稼いだお金を 「老後の蓄えにします」 と答えたことからもうかがえるように、「人生はまだ長いから貯蓄が大切」 という思考特性になりがちです。
きんさん ぎんさん


日本人の貯蓄率が高くて消費にまわらないため日本政府は苦慮していますが、その根底には、時間に対するこうした日本人独特の思考特性があるのかもしれません。

西欧人と日本人の時間に対する認識差。これは価値観の問題ですから優越はありません。

私自身は50歳に近づいた年齢のせいでしょうか。最近、西欧人の考え方に傾くようになっています。

そのように考えはじめてから、出会う人にも、出会う風景にも、出会うモノにも、いとおしさを感じるようになりました。人生が奥行きの深いものになっていくような気がしています。
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