一億円札をお財布に入れる

一億円札 4

私は遊び感覚で”一億円札”を作って、お守り代わりにお財布に入れています。これを始めてから、気のせいかもしれませんが、金運が上向いたように感じています。

2015年が皆様にとりまして、すばらしい年となりますことを祈念して、今年最後のエントリーは一億円札の作り方をお伝えしたいと思います。

1)福沢さん側を表とします。一万円札の左上、10000のところで紙幣を折り曲げます。
一億円札 1

これを裏から見ると、こんなかんじです。
一億円札 2

2)こんどは一万円札の右上10000の1と0の間に、先に折り曲げておいた左側の10000の部分を持ってきて、ピッタリ合せます。
一億円札 3

3)最後に右側に飛び出た部分を折り曲げて形を整えます。これが、冒頭に揚げたのと同じ、完成形です。
一億円札 4

完成形を裏からみると、こんなかんじです。
一億円札 5

本当に、単なるジョークなんですけれど、これを持っていると、なんだか明るい気分になりますよ。(そう思うのは私だけかもしれませんが、、、)

この一億円札は、お笑いネタで使えます。例えば、飲み会の後の精算の際、「ごめん、細かいの無くて,,, 一億円だけどいい?」なんてセリフで皆の注目を集めた後で見せると、笑いが取れます。

しかし、タクシーの精算の際、こんな冗談やって遊んでいると運転手さんに怒られそうですからご注意を!

この一億絵札のお守り、私は新札で作っています。そして、だいたい1~3ヶ月毎に交換しています。「お金は天下の回りもの」と言われますので、適度に回転してもらった方がいいかな、と思うんですよね。

さて、私がこの作成方法を発見したのは2000年の頃だったと思います。その後もずっとこの遊びを続けていますが、こんなジョークをやっているのは自分だけだと思っていました。

ところが、ある本を読んでいたら、私と全く同じことを考えた人がいたのです。世の中、自分と似たタイプの人がいるもんだなあ、と思わず笑ってしまいました。

この一億円札、実はお札の右上と左上の10000を単純に合わせると1,000,010,000円となり、”10億1万円札”とすることも可能です。そちらの方が額も大きいので、「どうせ作るなら”10億1万円札”が良いと思うよ」とおっしゃる方もいました。しかし私は、ゼロが並ぶ1億円札の方が見た目に美しいので、いつも一億円札にしています。

この1億円札、コスト無しで作れますから、皆さんも遊び感覚で試していただけると嬉しいです。

よい年をお迎えください。

エルメスのイヤリングがサンタさんのプレゼント

エルメスのイヤリング
8歳の娘のクリスマス・プレゼントを何にするか、ずいぶん悩みました。

オモチャを与えても、すぐに飽きてしまいますしね、、、

そこで閃いたのがエルメスのスカーフです。しかし、新品はさすがに金額的にも厳しいため、オークションで中古を狙いました。オークションをやってみると、中古といえど、やっぱり良いスカーフは高いです。結局これもギブアップ。

そんな中エルメスの中古イヤリングがお手ごろ価格で出ていたので狙ったところ無事落札できました。オレンジ色が好きな私としては、この箱だけで「いいなあ~」と思ってしまいます。

さて、25日の朝、娘はエルメスにどう反応してくれるのか、楽しみにしながら観察しました。

娘には英才教育?で、エルメスのショーウィンドーが見るたびに、「これがエルメスだよ。キレイでしょう?」と教えていたので、プレゼントの袋を開けてすぐに、「あっ、エルメスだ!」と、気付いてくれました。

また、娘は最近はオシャレに気を遣うようになりはじめたところだったので、箱を開けて、「うわ~素敵なイヤリング!」とか言って、たいそう喜んでくれました。このプレゼント、当たりだったようです。

娘には、「エルメス」というブランドの名前に飛びつくのではなく、エルメスの哲学や、エルメスが作り出すモノ、それ自体を評価できる人間になってほしいです。

そういう人間であれば、たとえ無名のモノであろうとも、「良いモノは良い」と見極める眼を持てるのではないか、と思うのです。

中古とはいえ、8歳くらいからエルメス製品を身に付ける環境に置けば、そんな子に育ってくれると期待しているんですけどね。さて将来、どうなることでしょうか。

人気温泉旅館のアメリカ人若旦那

タイラー リンチ氏
IZA-NOW (ANAの機内番組) : タイラー・リンチ氏

ペン  = アウロラ : オプティマ (M)
インク = モンブラン : ロイヤルブルー

英語は自分のことは「ME」。相手は誰に対してもMEはMEなんですけど、日本語の場合は、相手によって、こんど自分が「わたくし」、「わたし」、「ボク」、「オレ」、変わるんですよ。相手を読んで、自分がそれに合わせて調整して、自分を変えて、する心が「おもてなし」のルーツにもなるんじゃないかと思うんですよ。

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ANAが独自に製作する機内番組に「IZA- NOW」というシリーズがあります。日本で活躍する外国人に日本の魅力について語ってもらう番組です。

先日観た特集は、長野県、戸倉上山田温泉の人気宿、亀清旅館の若旦那、タイラー・リンチさんでした。

アメリカ西海岸のシアトルに生まれのリンチさんは、海外からホームステイの学生さんを受け入れる家庭に育ちました。そこで知り合った日本人留学生を通じて日本文化に興味を持った彼は、大学で日本語を学び、日本で英語教師として働くようになります。

その教師時代に知り合った女性が、亀清温泉の創業家の娘さんで、後に結婚することになります。そのような経緯で、彼は温泉旅館の若旦那となるのです。
亀清旅館

廃業の危機にあった温泉宿は、リンチさんの力を得て復活し、人気旅館になっています。日本語を上手に使いこなし、今や日本人以上に日本人らしいリンチさんのような方をみると、心から嬉しくなりますね。

そんなリンチさんが、日本文化の特徴について語ったのが上記の内容です。

言われてみて私も初めて気付きましたが、日本語は自分と相手を呼ぶ際に使う名詞が多様であり、それにより相手との微妙な距離・間、を示すことができるのですね。

言語は、ある民族にとって重要な事象を表す名詞が多様化する特徴を持っています。

例えば、皆さんもお聞きなったことがあるかもしれませんが、エスキモーは”雪”に関して、多くの名詞を使い分けています。

我々はふだん意識しませんが、この距離感・間に関して、日本人は外国人から見ると異常なまでのこだわりをもっていると言えるでしょう。

おそらく、これほど繊細に相手との距離感・間を示すことができる言語は、他に無いだろうと思います。

言語は文化の根幹を成しますから、この「繊細な間」が日本文化の最大の特徴と言えるのではないでしょうか。

茶道のおける客人との距離感、武道における間合い、水墨画における空間の使い方、五七五の行間を読み取ることを楽しむ俳句の世界。こうしたものの全ての根っこは、日本語の持つ「繊細な間」に凝縮されているように思います。

逆に言うならば、日本語をきちんと使いこなせないと、日本文化は理解できないということになります。

今後、千年のレベルで日本という国が生き残っていくためには、独自の文化を保ち、進化させてゆくことが決定的に重要です。独自性のない国は存在理由が無いわけで、市町村合併のように、やがて統合されてしまうでしょう。

千年先まで独自の文化を保つことを目的とした場合、その戦略の根幹は、何よりも国民の日本語力の強化にあります。

以前、「小学校での英語の必修化は日本の危機」でお伝えしましたが、お遊びレベルの英語ならば、それはカットして国語の授業時間数を増やすべきだと私は考えています。

タイラー・リンチさんの言葉は、それを思い起こさせてくれました。

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ライト兄弟の初飛行をめぐる疑惑

世界三大美港のひとつと称されるブラジルのリオデジャネイロ。この風光明媚な町の中心部に位置する国内線用の空港は「サントス・デュモン空港」と呼ばれています。
サントス・デュモン空港

私はかつて、ブラジル人のお客さんと話していた際、眼玉が飛び出るくらい驚く話を聞かされました。

ブラジル人はだれもが、飛行機を発明したのはライト兄弟ではなく、サントス・デュモンだと信じていると言うのです。下の写真がそのサントス・デュモンです。
サントス・デュモン

ライト兄弟が飛行機の発明者だということは世界の常識。前稿のとおり、「この1000年でも最も重要な功績を残した世界の人物」の第20位に輝く存在です。

初めは「なんの冗談か」と思ったのですが、調べてみると、たしかにブラジル人の言うことに一理あることがわかってきました。

ライト兄弟は、1903年12月17日、ノースカロライナ州キティホークにおいて、ライトフライヤー号によって飛行に成功したとされています。

一方、サントス・デュモンは、1906年10月22日、パリにおける公開実験で、14-bis号によって飛行しています。下がその14-bis号です。
14bis号

「ライト兄弟の方が3年早いじゃないか」と思いますが、ブラジル側の主張は次のとおりです。

1.1903年の初飛行における証人は5人しかいない。プレス関係者はゼロである。ライト兄弟が公式の場で飛行に成功したのは1908年。

2.初飛行の証拠としての写真は、数年後に提示されたもの。かつ、公式証人不在時における写真なので、動力飛行の証明にはならない。

3.当時、初飛行の成功者に対して多額の懸賞金が用意されていたにもかかわらず、なぜライト兄弟は名乗り出てこなかったのか?(ライト兄弟は特許のため、あるいは軍に売り込むためと弁明)

4.ライト兄弟の主張する1903年の初飛行の後もなお、ライト兄弟は風に影響されないよう、カタパルトを使って飛行実験を繰り返したことが明らかになっている。カタパルトを利用しての飛行は 「グライダー」 であり、動力飛行ではない。1903年の段階でカタパルト無しで飛べたとするのならば、なぜ後になってカタパルトを付けて飛行実験をする必要があったのか。

5.近年、研究者がライトフライヤー号を復元し、飛行を試みたが成功していない。

まとめますと、公の場での飛行を正とするならば、サントス・デュモンが世界初の動力飛行を実現した人ということになります。

ライト兄弟がサントス・デュモン以前に飛行していたのかどうかは、公式記録が無い以上、推定の域を出ないわけです。

本当に飛んでいたのかもしれないし、動力によらず、強風のおかげで、わずかに飛んでいるように見えただけかもしれません。

しかし、そんな状況であっても、「初飛行はライト兄弟」 ということで世界の評価が定まってしまいました。そのようなことになったのは、20世紀がアメリカの世紀だったからだと私は考えます。

もし、20世紀がブラジルの世紀であれば、「初飛行はサントス・デュモン」 となり、「この1000年でも最も重要な功績を残した世界の人物」 にサントス・デュモンが名を連ねたのかもしれません。

まさに 「歴史は勝者が作るもの」 だと思います。

我々が教科書で学ぶ歴史は、それぞれの時代の勝者たちからみた一面の姿でしかありません。情報を集め、多面から物事を見て自分の頭で歴史を考えることの大切さを、サントス・デュモンの一件から学んだように思います。

未来の「世界の偉人ベスト100」は誰か

アメリカのライフという雑誌が、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100 (Life's 100 most important people of the second millennium)」を発表しています。

一位はご存知エジソン。
エジソン トーマス

それ以下のリストは次のとおりです。

1. トーマス・エジソン (アメリカ)
2. クリストファー・コロンブス (イタリア)
3. マルティン・ルター (ドイツ)
4. ガリレオ・ガリレイ (イタリア)
5. レオナルド・ダ・ヴィンチ (イタリア)
6. アイザック・ニュートン (イギリス)
7. フェルディナンド・マゼラン (ポルトガル)
8. ルイ・パスツール (フランス)
9. チャールズ・ダーウィン (イギリス)
10. トーマス・ジェファーソン (アメリカ)
11. ウィリアム・シェイクスピア (イギリス)
12. ナポレオン・ボナパルト (フランス)
13. アドルフ・ヒットラー (ドイツ)(オーストリア)
14. 鄭和 (中国)
15. ヘンリー・フォード (アメリカ)
16. ジークムント・フロイト (オーストリア)
17. リチャード・アークライト (イギリス)
18. カール・マルクス (ドイツ)
19. ニコラウス・コペルニクス (ポーランド)
20. ライト兄弟 (アメリカ)
21. アルベルト・アインシュタイン (ドイツ,アメリカ)
22. マハトマ・ガンディー(インド)
23. クビライ(モンゴル)
24. ジェームズ・マディスン (アメリカ)
25. シモン・ボリバル(南アメリカ)
26. メアリ・ウルストンクラフト (イギリス)
27. グリエルモ・マルコーニ (イタリア)
28. 毛沢東 (中国)
29. ウラジーミル・レーニン (ロシア)
30. マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (アメリカ)
31. アレクサンダー・グラハム・ベル (アメリカ)
32. ルネ・デカルト (フランス)
33. ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (ドイツ)
34. トマス・アクィナス (イタリア)
35. エイブラハム・リンカーン (アメリカ)
36. ミケランジェロ・ブオナローティ (イタリア)
37. ヴァスコ・ダ・ガマ (ポルトガル)
38. スレイマン1世(トルコ)
39. サミュエル・モールス (アメリカ)
40. ジャン・カルヴァン (フランス)
41. フローレンス・ナイチンゲール (イギリス)
42. エルナン・コルテス (スペイン)
43. ジョゼフ・リスター (イギリス)
44. イブン・バットゥータ (モロッコ)
45. 朱熹 (中国)
46. グレゴール・ヨハン・メンデル (オーストリア)
47. ジョン・ロック (イギリス)
48. アクバル (インド)
49. マルコ・ポーロ (イタリア)
50. ダンテ・アリギエーリ (イタリア)
51. ジョン・ロックフェラー (アメリカ)
52. ジャン=ジャック・ルソー (フランス)
53. ニールス・ボーア (デンマーク)
54. ジャンヌ・ダルク (フランス)
55. フレデリック・ダグラス (アメリカ)
56. ルイ14世 (フランス)
57. ニコラ・テスラ (セルビア)(アメリカ)
58. イマヌエル・カント (ドイツ)
59. 范寬 (中国) - 北宋初期の山水画家。
60. オットー・フォン・ビスマルク (ドイツ)
61. ウィリアム1世 (フランス)
62. グイード・ダレッツォ (イタリア)
63. ジョン・ハリソン (イギリス)
64. インノケンティウス3世 (イタリア)
65. ハイラム・マキシム (アメリカ)
66. ジェーン・アダムズ (アメリカ)
67. 曹雪芹 (中国)
68. マテオ・リッチ (イタリア)
69. ルイ・アームストロング (アメリカ)
70. マイケル・ファラデー (イギリス)
71. イブン・スィーナー(ペルシャ)
72. シモーヌ・ド・ボーヴォワール (フランス)
73. ジャラール・ウッディーン・ルーミー (ペルシャ)
74. アダム・スミス (スコットランド)
75. マリ・キュリー (ポーランド)(フランス)
76. アンドレーア・パッラーディオ (イタリア)
77. ピョートル1世 (ロシア)
78. パブロ・ピカソ (スペイン)
79. ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール (フランス)
80. アントワーヌ・ラヴォアジエ (フランス)
81. P・T・バーナム (アメリカ)
82. エドウィン・ハッブル (アメリカ)
83. スーザン・B・アンソニー (アメリカ)
84. ラファエロ・サンティ (イタリア)
85. ヘレン・ケラー (アメリカ)
86. 北斎 (日本)
87. テオドール・ヘルツル (オーストリア)
88. エリザベス1世 (イギリス)
89. クラウディオ・モンテヴェルディ (イタリア)
90. ウォルト・ディズニー (アメリカ)
91. ネルソン・マンデラ (南アフリカ)
92. ロジャー・バニスター (イギリス)
93. レフ・トルストイ (ロシア)
94. ジョン・フォン・ノイマン (アメリカ)
95.サンティアゴ・ラモン・イ・カハール (スペイン)
96. ジャック=イヴ・クストー (フランス)
97. カトリーヌ・ド・メディシス (イタリア)
98. イブン・ハルドゥーン (チュニジア)
99. クワメ・エンクルマ (ガーナ)
100. カール・フォン・リンネ (スウェーデン)

日本でこの100名を全部知っている方がおられたら相当なインテリでしょう。特に51位から100位までは、日本では知名度が低いと思います。私の場合、50位以下では、「名前は聞いてことがある」と言うレベルを入れて25名しかいませんでした。

ちなみに、日本からは北斎のみがランクイン。仮に日本から1名選ぶとして、北斎が妥当かというと疑問を感じます。では誰かと問われれば、私は千 利休ではないかと考えます。その理由は、日本が世界に誇れる独特の文化である、わび、さび、おもてなしの心、といったものを確立した人といえるからです。

さて、この100名、アメリカ人が選んでいるので、どうしても彼らの視点からみた100名になっています。そこで、日本人にも馴染みのある、上位50名に絞って考えてみたいと思います。

まず、地域を見ると、50名のうち32名が欧州、9名が北米、その他の地域は9名にすぎません (国籍がまたがる場合は私の独断で分類しました)。実に80%以上を欧米が占めていることになります。アメリカの雑誌ということを差し引いて考えても、この1000年は欧米の時代だったことがよくわかります。

次の芸術家の数をみますと、4名 (なぜモーツァルトが入らないのか疑問ですが)。

年代別で見ますと、次の分類になります。

1200年代 6%
1300年代 7%
1400年代 10%
1500年代 15%
1600年代 6%
1700年代 12%
1800年代 29%
1900年代 15%

各人の生没年が世紀をまたがる場合には、各世紀に0.5名分振り分けてカウントしています。

こうしてみると、16世紀の大航海時代と、産業革命の19世紀が、人類にとって大きなヤマだったことがわかります。

さて、今から1000年後、西暦3000年の世界を想像してみましょう。「この2000年で最も重要な功績を残した世界の人物100」が選ばれるとして、西暦2000年以降、どんな人が出てくるのか。

私は、これからは実業分野におけるスーパースターの生まれにくい時代になる、と考えています。

例えば、人類で初めて月面に初めて降り立ったニール・アームストロングは、上記リストに入っていません。なぜなら、月面到達は、彼一人の力でできたものではないからです。

あらゆる仕事は細分化、専門化しているがゆえに、実業分野でスーパースターは誕生しにくい時代になったということでしょう。政治の分野も、リスク分散の統治システムが進化したため、ナポレオンやヒトラーのような人物は生まれにくくなっています。

実業分野における近年のスーパスターというと、例えばスティーブ・ジョブスがそれに当たるかもしれません。しかし、エジソンが人類に与えたインパクトに比べると、影の薄いものになってしまいますね。1000年後までその名を残すかというと、苦しそうです。

それでも大衆は常にスーパースターを求めるものです。実業分野でスーパースターが生まれにくい時代になる以上、非実業分野が、今後のスーパースターの源になってくるように思います。

現在のプロ・スポーツ産業の興隆も、そういう時代の流れがからんでいると言えそうです。

次の1000年で世界の偉人リストに加わる人は、宗教家、スポーツ選手、芸術家といった職業の人たちの比率が高まるのではないでしょうか。

シャネルはピカソをどう見たか

シャネルの見たピカソ
斉藤 孝 : 天才の読み方

ペン  = プラチナ: 3776 CENTURY ブルゴーニュ (細軟)
インク = プラチナ: ブラック

シャネルはピカソという人間をこんなふうに描いています。
「帽子をかぶったスペイン人、あたしには道化に見えたわ。でも彼の黒い瞳に見つめられると、金縛りにあったみたいに身動きできなくなった。あたしは顔をそむけたわ。そんなふうに顔そむける自分が腹立たしかったけど、結局、彼はあたしをたじろかせたのよ。」

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20世紀の天才、ピカソとはどんな人物だったのでしょう。

作った愛人は数知れず。結婚は二回。二回目の結婚は80歳の時でした。まさにモテモテ、精力絶倫のオジサンです。

ではすごいハンサムだったかというと、全然そんなことはありません。安藤忠雄さんはその著書、「安藤忠雄の都市彷徨」において次のように述べておられます。

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 65年に、パリでピカソ本人を見たことがある。とある画廊の前を、画家と友人と通りかかったときのことだ。 画廊では何かの個展をやっているらしく、通りまで人があふれていた。その人だかりの中のひとりを指差し、「あれが、ピカソだよ」と、友人が教えてくれたのだ。
 そのとき僕は、「あれがピカソか、まるでゴリラみたいなオッサンだな」という印象を持ったにすぎない。 ただ、似ているという訳ではないのだが、コルビュジエと人間のカタチが同じだ、と思えた。 
  今になって思えば、ピカソがゴリラに見えたのは、彼の秘められた野生のせいではなかったか。死ぬまで、ギラギラしたゴリラの野生を失わなかったからこそ、彼はロケットのように何回も爆発しながら、走り続けることができたのではなかったろうか。
********************

安藤忠雄さんは1941年生まれなので、1965年といえば24歳です。スポンジのように何でも吸収できる年齢で、ピカソを生で見ることができた経験は、安藤さんにとって大きなものだったと思います。70歳を越えてなお、今もエネルギッシュに創作を続ける安藤さんの姿と重なります。

さて、安藤さんがピカソを見たとき、ピカソは当時84歳です。この年齢で、若き安藤さんをして「まるでゴリラみたいなオッサンだ」と言わしめるわけですから、神がかったレベルの男性版フェロモンを発していたのでしょう。

さて、一方のココ・シャネル。シャネルは1883年に生まれ、1971年に87歳で没しています。ピカソは1881年生まれ、1973年没なので、この二人の生没年はほぼ重なっていることになります。

シャネルについては、2011年にシャネル銀座で開催された「ココ・シャネル 1962  ダグラス・カークランド写真展」で初めてどんな姿の人だったのかを知りました。
ココ シャネル

シャネルは当時79歳なんですけれど、カッコいいんですよね。写真を通じても、色気が感じられました。若い頃の写真をみると、いわゆる典型的な美人ではありませんが、何か独特の魅力を持つ人だったことがわかります。

数多くのハンサムな男性にも言い寄られたであろう、そのシャネルがピカソについて「彼の黒い瞳に見つめられると、金縛りにあったみたいに身動きできなくなった」と言っているわけです。ピカソの”眼ヂカラ”たるや、どれほどのものだったんでしょうね。

天下のココ・シャネルをイチコロにしてしまうほどの魅力を持つピカソ。私にとってピカソは、ローマ帝国のスーパーヒーロー、ユリウス・カエサルとともに、タイムマシーンがあったら見てみたい人のリストの最上位に位置します。

ところで、安藤さんは84歳のピカソを見たとお伝えしましたが、自分が84歳の時になりたい風貌について、私にはひとつのイメージがあります。

今から10年ほど前、東京の文京区か台東区にある、老舗のあんみつ屋さんに妻と行きました。その店がどの店か、残念ながらどうしても思い出せません。もしかしたら閉店してしまったのかもしれません。

私と妻はクリームあんみつを注文してカウンターで待っていました。そこにベレー帽をかぶった、ほっそりした初老の男性が店に入ってこられました。カウンターに着席した後、ベレー帽を脱いで、「すみません、豆かんをひとつ」とオーダーされました。

豆かんをご存知でしょうか。黒豆と寒天だけの、最もシンプルなデザートです。
豆かん

その男性は、豆かんが運ばれてくると、黙って、一口づつ、うっすらと笑顔を浮かべながら、美味しそうに召し上がっていました。

この最もシンプルなデザートの滋味を心ゆくまで堪能されているその様は、今でもはっきりイメージできます。素直にカッコいいと思いました。クリームあんみつを食べている自分がちょっとだけ恥ずかしくなったのを覚えています。

そして、食べ終わると、「ごちそうさま」と声をかけられ、ベレー帽をかぶりなおし、颯爽と出ていかれました。

その時以来、「あの初老の男性のように美しく枯れてゆきたいなあ」と思うようになりました。今も同じ気持ちです。

有名建築家に自宅を建ててもらう、ということ

私の実家は親との二世帯住宅になっています。しかし、現在、私の所有部分は他の方に貸しておりまして、我が家は別の場所に住んでいます。

実家はもうすぐ築30年ということもあり、水まわりや電気系統で問題が起きるようになってきました。設計面においても、30年前とは生活スタイルが大きく変わってしまったので、不都合が生じています。

そんなわけで、親とは「中途半端にリフォームするくらいなら、いっそのこと建て直しにした方がよいかもね」等と話すようになりました。まだ具体的にいつ、とは決まってはいないものの、漠然と建て直しを考えています。

さて、どうやって建てるか。

最初はハウスメーカーに任せることを考えたのですが、「家を建てるなんて、一生で何度も経験できることではないから、少し高価かもしれないけど、建築家に任せてみよう」と考えを変えました。

そのような結論に到った最も大きな要因は、25年続く名番組「渡辺篤史の建もの探訪」を見てきて、「建築家と自分の夢を、形として実現していくっていのはすばらしいなあ」と思ったからです。

渡辺篤史の建もの探訪

こんどは、どの建築家に依頼するかが問題になります。「渡辺篤史の建もの探訪」に登場した作品と建築家のリストは本で調べることができるので、気になる建築家をチェックしたりしました。

そんなことを続けるうちに、ふと、「どうせ頼むなら、有名建築家に依頼してみようか」と思ったのです。建築家の設計料は幅がありますけれど、それでも建設費に比べればその差は知れたものです。問題は、超多忙な有名建築家が、金持ちでもない、一個人の小さな住宅なんて請け負ってくれるのか、ということです。

調べてみると、安藤忠雄さんなんかも、時々、個人の住宅を請け負ってくれるそうです。やはり、住宅建築は建築の基本ですから、大プロジェクトを追う有名建築家であっても、儲け度外視で個人住宅を請け負うことはあるのです。もっとも、ほとんどはお弟子さんが担当して、大先生は最後の部分の監修みたいな形でしょうけれど。

安藤さんは拠点が大阪なので、東京に拠点を持つ建築家に依頼しようと思いました。

いろいろ調べて、ダメモトで何名かの有名建築家事務所に「近い将来、実家の建て直しを考えているのですが....」と連絡を入れてみたのです。そのうちのある事務所から、「ぜひ一度、お話をうかがいたい」という連絡をいただきました。

「えっ、まさか!」と思いました。自分の家が世界の建築雑誌に出たり、場合によっては文化財になったりするかもしれません。これはすごいチャンスだと思いました。

しかし、その一方で、そんな家に住む自分と家族のことを、よ~く考えてみたのです。

トップ建築家の作る家は、時代の最先端を走ります。人が家に求めるもので第一に来るのは「住みやすさ」でしょう。しかし、時代の最先端の家は往々にして「住みにくい」のです。

例えば、近代建築の三大巨匠のひとり、ミース・ファン・デル・ローエが1951年、アメリカに建てた「ファンズワース邸」は、建築学科の学生なら必ず目にするであろう、住宅建築における世界最高傑作のひとつです。

ファンズワース邸

この傑作住宅はもともと施主であるファンズワース女史の週末の別荘として建てられました。しかし、彼女自身はこの家でほとんど過ごすことはなく、結局、売却してしまいました。その後も住む人は無く、今に到っているようです。

ファンズワース女史が住まなかった理由のひとつに、大幅に予算を超過した工事費をめぐるミースとの訴訟問題があります。もうひとつの理由は、単純に住みにくかったからです。森の中の、ブラインドも無いガラス張りの家。インテリアの位置まで全て規定して譲らないミースに、ファンズワース女史は嫌気がさしたようです。

施主が実際に住んでみて、住みやすいと感じるか否かは施主の考え方次第とはいえ、人は元来保守的であることを考えると、時代の最先端をいく家は、その空間の構造上、住みにくい物となる可能性は、通常の住宅よりも高いと言えるでしょう。

有名建築家の作る家が住みやすくないものになるかもしれない理由は、もうひとつあります。それは「環境」です。

「ル・コルビュジエの家」というアルゼンチンの映画があります(原題は「El hombre de al lado(隣の家の男)」。

ル コルビュジェの家

この映画は、ブエノスアイレスに実在する、ル・コルビュジエの家を舞台にしたものです。

コルビュジェ ブエノスアイレス

ル・コルビュジエは、先に述べたミース・ファン・デル・ローエ、そして旧帝国ホテルを建てたフランク・ロイド・ライトとともに、「近代建築の三大巨匠」と称さる人です。

この映画自体、スペイン語文化圏にありながら、イタリア文化の影響を強く受けているアルゼンチンらしさが存分に発揮された、素敵な映画でした。

さて映画の内容はさておき、この映画を観て思ったのは、有名建築家の建てた家に住むからには、自分のプライバシーを犠牲にせねばならない、ということです。

南米の中で、唯一、ル・コルビュジエが残した建築ということもあり、この家の前には、建築ファンが立ち寄り、写真をバシャバシャ撮っていきます。時には、家の主人を呼び出して、「家の中を見せてください。ガイドブックを読んだら、頼めば中を見せてくれる、と書いてあったのだけれど」と言ってくる人もいます。

こういう環境でも平気な方はいるでしょうが、私なんぞ、こんな家では、家の前にゴミも捨てられません。

こうした理由から、私は有名建築家の建てる家に住むことをギブアップしました。その後、大変失礼ながら、某事務所には折り返しの連絡をしていません。ミーハーな気持ちで事務所に連絡を入れてしまった自分を反省しています。

凡人の私は、今、心落ち着ける空間・環境の家に住みたいと思っています。

チャーチルも見破れなかった伝説のマジック

チャーチルとマジック
松田道弘 : トランプ・マジック

ペン  = ラミー : サファリ (M)
インク = モンブラン : ロイヤルブルー

新しい奇術のアイディアというのはなかなか発見されないものです。人間のイマジネーションにも限度があるのでしょうか。(中略)
1942年に、ポール・カリーというニューヨークのアマチュア奇術家が考案し、そのタネを一ドルで売りに出したこの奇術の原理は革命的ともいえる新しい奇術でした。
(イギリス首相だった)チャーチルはこの奇術を見終わったあと、例の葉巻をくゆらしながら長い間腕組みをして考えたあげく「もう一度やってくれ」といって、とうとう六回くり返して演じさせ、それでもタネを見やぶることができなかったということです。
チャーチルと葉巻

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藤原正彦教授の「国家の品格」は、近年、私が読んだ本の中で最も感銘を受けた本のひとつです。この本の中に、天才中の天才と評される、インドの数学者、ラマヌジャンの話が出てきます。このラマヌジャンについて藤原教授は次のように記しています。

++++++++++++++++++
ラマヌジャンは「我々の百番頭が良い」というタイプの天才ではありません。「なぜそんなことを思いつくのか見当もつかない」というタイプの天才なのです。 (中略) 高卒だったラマヌジャンは、「夢の中で女神マーナギリが教えてくれる」と言って、次々に定理や公式を発見しました。
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こういうタイプの、神様からインスピレーションを受ける人が真の「天才」なのでしょう。

ラマヌジャンは数学の世界にあって「インドの魔術師」という異名を取った人でした。ラマヌジャンのように歴史に名を残すには到っていませんが、カードマジックの世界にも、真の天才がいました。上述のポール・カリーです。星の数ほどあるカードマジックの世界で、ポール・カリーの発明した「アウト・オブ・ディス・ワールド」という作品が、史上最高傑作のひとつであることは疑いの余地の無いところです。
アウトオブディスワールド

この作品は客から見て、カードマジックの常識を覆すほどの強烈なインパクトがあります。そして、この作品がさらにすばらしい点は、通常のタネ無しトランプで演じることができ、かつ、演者の高度な技術も必要なく、実演後のタネの消滅も容易であることです。手順さえ間違わなければ、誰でも演じることが可能な、まさに完璧という言葉が相応しい作品です。

このマジックを見たイギリスのチャーチル首相の話は有名です。

通常、マジシャンは同じ作品を続けて演じることはしません。それはマジシャンのタブーです。しかし、第二次世界大戦でイギリスを勝利に導き、当時の世界最高権力者だったチャーチル首相に「もう一回!」と言われたら、どのマジシャンも断れませんね。これに比べれば金正日にしつこく迫られた引田天功さんのプレッシャーも比ではありません。かくしてそのマジシャンは、同じマジックを六回見せることになったにもかかわらず、チャーチルはタネがわかなかった。それくらい、このマジックは完璧なのです。

どのような作品なのか、前述の松田道弘さんの名著「トランプ・マジック」の記述を追ってみましょう。

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客から見たところはつぎのとおりです。
赤と黒のカードを一枚づつ表向きに置きます。
その上に、裏向きのカードを一枚ずつのせていくのですが、相手が赤といえば赤のカードの上に、黒といえば黒のカードの上に置いていきます。
このように相手が言うとおりに何枚かのカードを置いていき、最後に裏向きのカードを表向きにすると、客が黒といったカードは全部黒になっており、赤といったカードは全部赤になっています。
まるで客(相手)がすべてのカードを裏から透視できるいわゆる透視能力をもっているかのように見えるのが、この奇術のミソです。
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(タネを知りたくなった方は、松田道弘さんの「トランプ・マジック」を御覧になってください。名著です)

さて、私がこの伝説のカードマジックを見たのは、1990年、ケニアの首都、ナイロビでした。それは、インドでマジックのような詐欺に会った直後でした。

私は日本人のバックパッカーが集まる安宿に泊まっていました。ある晩、宿の居間で私と同世代の日本人旅行者が寄り集まってえらい盛り上がりを見せているのです。「何をやっているのかな」と思って首を突っ込みました。

それが「アウト・オブ・ディス・ワールド」という作品との出会いでした。後でわかりましたが、私が輪に加わったタイミングは、一人の学生が何人ものバックパッカーの前で、チャーチルのときと同じように、このマジックを何度も繰り返し演じ、皆が不思議がって驚嘆の声をあげていた時でした。

私はこの盛り上がりの最後のところでマジックを見ました。何の説明もなく途中から見てしまったので、このマジックの何が不思議なのか、全く理解できなかったのです。

演者が最後の実演を終え、皆が「う~ん、やっぱりわからん!」と首をかしげた後、演者は「それじゃ、タネ教えてあげるよ。これはね.....」と言って話し始めました。

なんと、私はマジックを鑑賞すること無しに、いきなりタネの話から先に聞いてしまったのでした。このため、歴史に残る名作マジックの不思議さを体感することはできませんでした。今でも、残念でなりません。

誰でもそうだと思いますが、マジックはタネを知ると、「な~んだ、そんなことだったのか」と一気に興味が冷めてしまうものです。

しかし、私はこのマジックのタネを知っても興味を失うことはありませんでした。なぜならマジックが演じられている間の周りにいる人々の驚きの表情が忘れられなかったからです。それまでもマジックはテレビで観たりしていましたが、「マジックの不思議さって、こんなに人を熱狂させるものなんだ」ということを肌で感じたのはこの時が初めてでした。

インドでマジックのような詐欺に遭った経験と、ケニアの安宿の経験が重なったためでしょうか、私は不思議さが生みだすマジックと言うアートに惹かれ、日本に帰国後、友人たちにこのアウト・オブ・ディス・ワールドを実演してみたのです。その影響力の凄まじさに、今度は自分自身が驚くことになりました。それからです、私がマジックの世界にハマってしまったのは。

今になって思うのは、もし私があのナイロビの安宿で、最初から輪に加わって、アウト・オブ・ディス・ワールドを見ていたら、マジックに興味を持つことは無かっただろう、ということです。

外から輪を観察していて、人々の熱狂する姿が脳裏に焼きついたから、マジックに興味を持ったのです。自分が輪の中に入っていたら、自分が熱狂するだけなので、タネを知ったらそれで興味は失っていたでしょう。

そう考えると、運命って、ほんのわずかのタイミングの差で、どう変わるかわからないものだと思います。

これからも、何がきっかけで自分の運命が変わるかはわかりません。ただ、言えるのは、自分がアンテナを張っていないと、何も気づかれないまま、その”きっかけ”は通り過ぎて行ってしまうということです。「人生、無駄なし」の秋元 康さんの言葉を思い出して、何事も面白がることができる人間になりたいです。

時代に合う人、合わない人

間抜けの構造 ビートたけし
ビートたけし : 間抜けの構造

ペン  = ラミー : サファリ (M)
インク = モンブラン : ロイヤルブルー

スポーツの世界はもちろん実力の世界なんだけど、その中の一握りのスター選手を見ていると、いつの時代に生まれるかという”間”が、実力以上に大事なのかもしれないと思うことがある。いつの時代に、どの職業についているか、というのはかなり重要なことなんじゃないかな。(略)
だから、生まれた”間”が悪かった、ということはあるんだよ。才能と実力もあるけれど、最後まで時代との相性が悪くて、世に出ることができなかった、なんていう人はどんな分野でもざらにいる。

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前稿に続き、ビートたけしさんの「間抜けの構造」からの一文です。

「才能と実力もあるけれど、最後まで時代との相性が悪くて、世に出ることができなかった、なんていう人はどんな分野でもざらにいる」 と、凡人が言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえませんが、成功者のビートたけしさんが言うと説得力を持ちますね。

このビートたけしさんのコメントを読んで思い出したのは、アインシュタインのことでした。

藤原正彦教授は、「国家の品格」の中で次のように述べておられます

・アインシュタインの相対性理論は、アインシュタインがいなくても二年以内に誰かが発見しただろうと言われています

同じようなことは、斉藤 孝教授が「斉藤孝のアイディア革命」の中で述べておられました。

・ (ノーベル賞受賞者の)小柴昌俊氏は司会者に 「アインシュタインとモーツァルトはどちらがより天才か」と問いかけ、続けて以下ような自説を展開されたのである。 「物理学のようなサイエンスは、自然現象という独立した客体を研究対象としている。したがって、もしアインシュタインが一般相対性理論を発見しなかったとしても、後世の誰かが論理と実験を重ねることによって発見した可能性が高い。それに対して芸術は、作品という客体と作者という主体が渾然一体となっている。モーツァルトの音楽はモーツァルトにしかつくれない。だからモーツァルトの方が天才だ。」

アインシュタインの相対性理論はあまりに画期的だったゆえに、発表当時は理解されなかったようです。アインシュタインはそんなエピソードに溢れている人なので、世の中で「天才」という話がでるときに、真っ先に名前が出る人物の一人といえましょう。

しかし、人類の歴史を変えたといわれる相対性理論も、どうやら発見は時間の問題だったと考えるのが、上記のコメントからみてもわかるとおり、今では定説となっています。

そうすると、アインシュタインの誕生日が、もしあと二年遅れていたら、別の科学者がアインシュタインに代わって、「相対性理論を発見し、人類の歴史を変えた天才」 ともてはやされたかもしれないのです。その場合、アインシュタインはおそらく無名の天才のまま、その生涯を終えたことでしょう。

このように考えると、ビートたけしさんがいわれるとおり 「いつの時代に生まれるかという”間”が、実力以上に大事」という考えは本質を突いてると思うのです。

このビートたけしさんの考えを図にしてみました。
努力と時代の関係

世のビジネスマンの皆さんに、「あなたはこの表のA、B、C、Dのマスのどこに属すると思いますか?」とアンケートをとったら、どんな結果になるでしょう?

私は

A = 10%
B =  5%
C = 80%
D =  5%

くらいの割合になるのではないかと思います。

ほとんどの人は「自分はがんばっている、実力はある」と思っています。そして、ほとんどの人は「自分は低く評価されている」と思っています。その不満を納得させるロジックは「自分は実力があるのに、評価されないのは時代が合わないから」ということになります。結果としてCが圧倒的に多くなるわけです。

ではCの人はどうやったらストレスを軽減できるのでしょうか。私は「自分はBだ(=たいした実力があるわけでもないのに、時代が合っている)」と、”無意識”のレベルで思い込むことができるかどうかが、大きなポイントだと思います(この点は以前、「秋元 康さんの 『運力』」でお伝えしました)。別な言い方をすると、CのマスからBのマスへ、自分の考え方をシフトできる人は、人生を上手に生きる達人と言えるでしょう。

「時代に合っている、合っていない」の判断に絶対の基準はありません。「自分は努力しているか否か」の判断も同様です。自分の考え方ひとつで、この線引きはいかようにも変えられるということです。

ビジネスマンが出世競争を目的として自分の人生を組み立てるとするならば、本当に満足できるのは頂点の社長の椅子に座る場合に限られます。それ以外は敗者ということになります。私もこれまで、いろいろなオジサンを観察してきました。例えば取締役だった方が、その先のステップである常務や専務のポジションに登ることができず、呆然自失してしまう姿を何度も見てきました。これはもう哀れというより他ありません。

そんな人よりも、たとえ上位役職に就けなくても明るい表情で引退される方は、見ていてすがすがしいです。

この両者の差は、企業のピラミッド社会における階層とは関係なく、「オレは時代に合っていた。自分の努力ではなく、皆さんに助けてもらったおかげで、ここまでこれた」と心の底から思えるかどうか、そこにかかっているのではないでしょうか。

ビートたけしは天才商売人だが芸術家ではない

ビートたけし 間抜けの構造
ビートたけし : 間抜けの構造

ペン  = ラミー : サファリ (M)
インク = モンブラン : ミステリー ブラック

 芸術家にとっては、「時代と寝る」ことがいいかどうかはわからない。生きている時代に評価されてチヤホヤされて良い思いをしたやつと、生きている間はまったく評価されずに、死んでから評価されることのどちらがいいかとなると、芸術家はやっぱり後者を狙わないとダメなんじゃないかな。
 芸術家というのは、簡単に理解されたらダメなところがある。「こいつ、ちょっと頭がおかしいんじゃないか」とか、「頭のネジが何本か飛んでるんじゃねえか」とか思われるくらいでないと。中にはただの駄作もあるだろうけど、そのくらい突き抜けていないと、本当の芸術とは言えないのかもしれない。

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私が高校生の頃、ドリフターズの「8時だョ!全員集合」とビートたけしさんが中心の「オレたちひょうきん族」が土曜日の夜に放映されていました。

友人たちの間では、全員集合派とひょうきん族派で割れていました。私は全員集合派でした。ビートたけしさんのお笑いのセンスが、私にはどうしても合わなかったのです。今でも、たけしさんの面白さはよくわかりません。

世界中から高く評価されている方ですから、そのビートたけしさんのすばらしさを理解できない自分の方に問題があるのでしょう。コンプレックスを感じてしまうほどです。

そんなわけで、何気なくブックオフで買ってしまった、ビートたけしさんの「間抜けの構造」という本も、あまり期待せずに読みました。

もともと期待しなかったのが良かったのか、読後の満足度は高かったです。

前稿の「一神教が芸術の発展をもたらした」でお伝えした内容をまとめるにあたって、ビートたけしさんの上述のコメントは大変参考になりました。

ビートたけしさんは、この「間抜けの構造」という本の中で、次のようにも述べています。

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 ちょっと商売人というか、そのあたりを読むセンスがあるやつは、「この芸はみんなに理解されないからやめよう」とか、「このぐらいならわかるかな」とか考えるから、売れるんだよ。その微妙な間合いがわかるやつは、ちゃっかりしているからね。
 でもそれが、ゴッホみたいな本当の芸術家と言えるかどうかは微妙だ。
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要は、芸術に限りませんが、芸の世界で売れる人は、商売人としてのセンスがあるということです。その一方で、商売人としてのセンスと芸術家としてのセンスは矛盾する要素でもある、とも述べられています。

一般的にはビートたけしさんのおっしゃるとおり、商売人としての側面と芸術家としての側面を両立するのは難しい。しかし、例外もありますね。

アンディ・ウォーホルは両者は両立するという考え方を示し、死後20年以上たった今も高く評価されています。最近では村上 隆さんもそうですね。

彼らは芸術家としての本質がきちっとできている上で、商売人としてのセンスをほんの少しだけ活かした、まるで料理におけるスパイスのように、と私は理解しています。

これに対して、日本で芸能人として成功した人が、芸術作品を売り出して成功する例をよく目にします。これは本当に芸術作品なのでしょうか?

競争の厳しい芸能界で生き残れる人は、例外なく、商売人として卓越したセンスを備えています。そうした根っからの商売人が生み出す芸術作品。これは先ほどのアンディ・ウォーホルや村上 隆さんの逆ヴァージョンです。

このパターンはダメ。逆は真ならず、だと私は考えます。なぜなら商売人としてのセンスが高すぎるゆえに、世間に迎合しようとする「スケベ心」が見え透いてしまうからです。ジミー大西さんのように、芸能人としての側面を完全に断ち切るほどの覚悟がないと、このスケベ心はどうしても作品に出てしまいます。

こうした芸能人が、アマチュアのレベルで楽しむ分には良いでしょう。しかし個展を開いて作品を販売したりするのは、いかがなものかと思うのです。

ホンモノを見極める眼を国民全体で上げていかないかぎり、芸能人芸術家の興隆は今後も続くように思えてなりません。
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