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佐藤可士和流 手ぶら通勤は楽しい

佐藤可士和 手ぶら
ペン  : カステムヘリテイジ912 (FAニブ)
インク : エルバン モクセイソウグリーン

まずは一週間のうち”手ぶらの日”を何日か作って実験してみました。何か困ったことが起こるかな、とドキドキしましたが、結果的には全く困りませんでした。それどころか、うんと開放的な気分になれたのです。

佐藤可士和 : 佐藤可士和の超整理術
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私は数年前から、手ぶらで通勤しています。それ以前は、カバンを持っていましたが、シンプルライフを目指す中、カバンの中身を減らし、カバンの小型化を進めるうちに、「カバンは無くても問題ないな」と思ったのです。

これをやってみたら、通勤が楽しくなりました。手ぶらだとすごい開放感を感じるのです。お散歩の延長のような感覚とでも言いましょうか。私の通勤時間は片道30分なので、往復1時間。この1時間がハッピーになると、トクした気分になれます。

手ぶらだと新聞も本も無いですから、暇なので、いろなものを観察するようになります。

通勤ラッシュ時の電車の中を写真でカッコよく撮るとしたらどういうアングルがいいかとか、中吊り広告をみて、自分が広告代理店なら全然違う形で広告作るだろうなとか、女性の髪形が最近変わってきたな、とか、このオジサンのアクション面白いなとか。赤瀬川原平さんの路上観察学でお伝えしましたが、よく見ると面白いものが街中に一杯あることに気がつくようになります。

しかし、手ぶらで通勤するビジネスパーソンは、ほとんどいませんよね。皆さん、カバンやリュックなどを持っておられます。手ぶらで通勤するなんて変わり者は、自分くらいかと思っていました。

ところが、佐藤可士和さんの本を読んで、佐藤さんも手ぶら派だったことを知り、嬉しくなりました。女性は身の回りのものがどうしても必要ですから難しいかもしれませんが、男性の方には、私も自信を持って「手ぶら」をおすすめます。

私が通勤時に持つのは次のものです。

・腕時計
・お札を入れる長財布
・小銭入れ兼、キーホルダー兼、クレジットカード入れ
・名刺入れ
・手帳
・ボールペン
・携帯電話

これをズボンや上着のポケットに収めます。

考えてみれば、これだけで持てば、十分だと思うんですよね。なんで長年、カバンを使っていたのか、今思うと不思議です。

ただ、最近はこれだけでも重いと感じるようになりました。もっと身軽になりたい、と。

そういう思いが潜在的にあるのか、私はよく携帯電話を持っていくことを忘れます。携帯電話が自分の身体の一部のように使われる方が多いこのご時勢、信じられない行為かもしれませんが、それについてはまた別電でお伝えしたいと思います。
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メールを一括完全消去すると勘が磨かれる

マッカーサーの言葉
ペン  = パイロット : カクノ (Fニブ)
インク = 色彩雫 : 秋桜

「司令官にとって最も大切なことは、5%の重要な情報を95%のどうでもいい情報から見分けることだ」

アメリカ陸軍元帥 マッカーサー
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会社に着いて、PCを立ち上げると、ドッと入ってくるメールの山。この山を片付けていると、私は子供の頃に大流行した”スペースインベーダー”というゲームを思い出します。
スペースインベーダー
いくら打ち倒しても、ひたすら増えて攻め続けてくるインベーターたち。この戦いは、自分が全滅するまで続きます。

メールの山も同様、まともに対応していると、キリがありません。恐ろしいのは、なんだかそれで仕事をした気になることです。

このメールの洪水から身を守るために、私はあるときから決断しました。「メールが洪水状態になってきな」と思ったら、メールの題名だけ猛スピードでナナメ読みして、どうしても必要なものだけ保管し、あとはガバッと一括完全消去するのです。

勘だけが頼りです。

このやり方で、多少の問題が起こることはありますけれど、窮地に追い込まれるほど困ったことはありません。

「なんだ、そんなことか」 と思われるでしょうけれど、この「一括完全消去」というシビれる経験を重ねることが、私は重要だと考えています。

このやり方をするようになったきっかけは、マッカーサーが述べた 「司令官にとって最も大切なことは、5%の重要な情報を95%のどうでもいい情報から見分けることだ」 という言葉がヒントになっています。

情報が溢れる現代、ひとりのビジネスパーソンが受ける情報量は、第二次大戦時の司令官が受ける情報量と同じくらいのボリュームがあるのではないでしょうか。まともに情報の山に対処していたら、身体がいくつあっても足りません。

司令官の仕事とは、目的と目標を決め、戦略を定め....といった、リーダーとしての一連の仕事であり、これは現代のリーダーも同じです。司令官が情報取得に多くの時間を割いているような軍隊は、死を意味します。だからこそ、マッカーサーは膨大な情報の中から、「勘」 だけを頼りに、短時間で5%の重要な情報を見抜く技を持っていたはずなのです。

現代のビジネスパーソンも、司令官同様、膨大な情報の中から、「短時間で大切な5%を見抜く勘」 を磨かなければ、自分のvalueを上げることはできません。仕事人が時間を割かねばならないのは、勘で見抜いた5%の情報を加工して、オリジナルな情報を作り上げる仕事です。

そのためにも、バッサリと思い切ってメールを捨てる、ということをおすすめしたいのです。完全消去というシビれる行為を続けるうちに、勘は磨かれていくはずです。

ダメなリーダーは 5.5) の仕事に追われる

大前研一 サラリーマン サバイバル
ペン  = モンテグラッパ : ピッコラ (Fニブ)
インク = ロットリング : ブラウン

会社というのはチームワークで仕事をするための組織である。チーム全員を足して100の仕事ができればいいのである。重要なのは、その100を上司が定義することだ。それが定義できなければ上司の役割は果たせないし、プロフェッショナルともいえない。

大前研一 : サラリーマン・サバイバル 
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大前研一さんのコメントは、わかりやすく、かつ斬新です。「頭がいい」 というのは、まさにこういう人のためにある言葉だと思えてしまいます。

大前さんは1995年、東京都知事選挙に立候補します。私は大前さんに投票しましたが、青島幸男さんに破れ、落選されました。あのとき、大前さんが知事になっていたら、今の東京はどうなっていたのでしょう。時間を巻き戻せるものなら、そんなシナリオを見てみたいものです。

さて、私は以前、”アーティストとマネージャー、共通の苦悩”で、リーダーの仕事は次の6つに集約されるとお伝えしました。

1)現状把握
2)目的・目標の設定
3)戦略の立案とその優先順位の決定
4)資源配分の決定
5)判断業務
6)結果に対する責任

上で大前さんが 「重要なのは、その100を上司が定義することだ」 と述べておられる部分は、上記の 「2)目的・目標の設定」 にあたります。

” 「目的」 と 「目標」 を使い分けてみる” でお伝えしたとおり、「目標」 は、より定量的です。「その100を上司が定義する」 とは、「上司が目標を設定する」 と言い換えられるでしょう。しかし、「その100を上司が定義する」 という言い方の方が明確にイメージできます。さすがに世界トップのコンサルタントだった方の表現方法だなと思います。

この 「サラリーマン・サバイバル」 という本で、大前さんは次のように記されています。

「部下を使って仕事をする時の私のやり方は、私が想定している成果を100とすると、100マイナスその部下の仕事が自分の仕事だと考えている。(中略)そして100のうち、部下が97をやってくれれば、私は3しかやらないですむ。逆に部下が3しかできない場合は、私はあとの97をやらなければいけなくなるわけだ」

「部下が97をやってくれれば、私は3しかやらないですむ」 というのは、上記の”リーダーの仕事”のうち、「5)判断業務」 と 「6)結果に対する責任」 の間に発生する、追加の仕事です。具体的には、「5.5)部下ができなかった部分の仕事の穴埋め」 ということです。

リーダーにもいろいろなスタイルがありますけれど、「5.5)部下ができなかった部分の仕事の穴埋め」 を必死にこなすことでイキイキとするタイプの人がいます。

それはリーダーの仕事のスタイルとして間違っています。なぜなら、リーダーは1)~6) の仕事に集中するべきだからです。理想的には、5.5) の仕事はゼロであるべきです。

そのために、リーダーは、「2)目的・目標の設定」 を決めた後、「3)戦略の立案とその優先順位の決定」 と 「4)資源配分の決定」 を工夫せねばなりません。

逆に言うならば、「3)戦略の立案とその優先順位の決定」 と 「4)資源配分の決定」 を完璧にできたとしても、「5.5)部下ができなかった部分の仕事の穴埋め」 が発生してしまうような場合は、「2)目的・目標の設定」 に誤りがあったということです。組織員が最大限の力を発揮しても達成できないような水準に、目的・目標を置くべきではないからです。

こうしたことから、組織を預かる身として、「5.5)の仕事をゼロにする」 が私の目標となっています。

赤瀬川原平さんに学ぶ 現代アートとは何か

赤瀬川原平2
ペン  = モンテグラッパ : ピッコラ (Fニブ)
インク = ロットリング : ブラウン

芸術という概念があらわれたところで、すでにその概念をUターンしようとする前衛芸術というものがあらわれていたのではないか。 (中略)  
以後その前衛芸術というものは、様々な形で変化しながらも、それは常に日常感覚への接着の試みなのである。

赤瀬川原平 : 千利休 無言の前衛
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前稿に続き赤瀬川原平さんのお話です。

赤瀬川原平さんは、現代アートとは何か (*赤瀬川さんは"現代アート"ではなく、”前衛芸術”と述べられていますが、わかりやすくするために、前衛芸術も現代アートの一部とここでは考えます)、という命題に対して、興味深い意見を述べられています。

赤瀬川さんは、現代アートを 「日常生活への接着の試み」 と考えていました。これだけではよくわからないと思いますので、赤瀬川さんの説を以下にまとめてみます。

********************
1)人類創世と時を同じくして、音、色、線、形、坪、模様、彫り物、話、歌、楽器、踊り、等々、さまざまな形に分散して、「日常生活」 の中に、人間は 「楽しみ」、「時間潰し」 を見出していた。

2)人類の進歩とともに、腕自慢が究められ、「楽しみ」、「時間潰し」 が究められるようになると、それらは 「日常生活」 から浮き上がった「表現物」になった。

3)やがて人類は、「表現物」 と 「宗教」 と重ねながら崇めはじめるようになった。

4)しかし、宗教が支配する時代は終わりを告げ、ルネサンスをきっかけとして、人間が主体となる時代が到来する。

5)人間が主体の時代となって、「表現物」 と 「宗教」 の分離が始まった。

6)その後、「表現物」 を 「芸術」 という括りで人類は認識するようになった。「芸術」 という分類が誕生したことで、「表現物」 と 「宗教」 の分離が決定的となった。

7)それと同時に、「表現物」 は崇高な位置から、日常生活に密着した位置づけへと下り続けた。絵画の世界における 「印象派」 はその典型的な例である。

8)太古の人類がそうであったように、「芸術」 が 「日常生活」 の一部としての位置づけに戻る動きの中で、現代アートが誕生した。
********************

私も最近知ったのですが、「芸術」 という概念が誕生したのは、17~18世紀のようです。上記でいいますと、6)の段階です。

ということはダ・ヴィンチの時代、彼の作品は 「すばらしい」 と人々に認識されていたでしょうけれど、「これは芸術作品である」 という認識は無かったということになります。

「現代アートとは何か」 という問いに対する回答は様々です。しかし、赤瀬川さんの説に沿って、「日常生活への接着の試み」 という視点から現代アートを見てみると、「なるほど、これには、そういう意味があったのか」 と納得できる作品もあるのではないでしょうか。

赤瀬川原平さんに学ぶ  アーティスト受難の時代

赤瀬川原平 利休
ペン  : プラチナ ・ プレジール (Fニブ)
インク : プラチナ ・ パープル

(私自身)芸術作品に魅力がなくなったのである。(中略)それまでの芸術の「前衛」のスピードを追い抜く形で、世の中全域での製作活動の乱舞がはじまる。カメラ、自動車、テレビ、コンピューター、都市開発、その他もろもろの実業世界での物品創造があきれるほどの形で加速度的に増大し、虚業世界での作品創造はその価値が一気に低下した。もはや何物かを作るよりも世の中を見ていた方がはるかに面白い。

赤瀬川原平 : 千利休 無言の前衛
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赤瀬川原平さんがお亡くなりになりました。享年77歳。ご冥福を祈りします。赤瀬川原平さんは、前衛芸術家として活躍され、1980年に芥川賞を受賞してからは作家としても知られるようになった方です。

赤瀬川さんは前衛芸術家として活動をスタートした後、1970年頃だと思いますが、前衛芸術に行き詰まりを感じます。その理由を上記のように述べておられます。

その流れをうけて、1970年代、赤瀬川さんは 「路上観察学」 という分野に光を当てます。この 「路上観察学」 とは、街中をよく観察することにより、我々が見落としている 「面白いもの」 を掘り起こし、主に写真や絵として作品化するものです。現代アートの一形態といえましょう。

例えば、こんな作品があります。
赤瀬川原平 路上観察学1
使われなくなった井戸だと思うのですが、現代アートのオブジェのような輝きがありますね。

こちらはどこかの蓋でしょう。
赤瀬川原平 路上観察学2
顔みたいですね。

この路上観察学を通じて赤瀬川さんは「面白いものって、自分の観察力しだいで、身の回りにいくらでも見つけられるよ」ということを、世に知らしめたといえます。

写真という芸術の世界では、何気ない日常の世界を切り取って、鑑賞者に気づきを与えようとするタイプの作品があります。しかし、一般的に言って、こういうタイプの作品は、鑑賞者から見て、作者が何を意図しているのか理解するのが難しいケースが多いんですよね。

これに対して、路上観察学はわかりやすいです。パッと見て「えっ、写真として切り取ると、こんなふうに見えるんだ!」ということが誰にでもわかります。路上観察学は、「気づくこと」 の面白さを大衆に伝えたといえます。

これは、赤瀬川さんが残された偉大な功績です。

さて、赤瀬川さんの最初の文章に戻りますと、現代のアーティストは、大変厳しい環境に置かれているのだということを感じます。

「千利休 無言の前衛」 が出版されたのは1990年です。赤瀬川さんは、この本を書くはるか前、1970年の段階で、実業世界を観察した方が虚業世界 (芸術界) で創造するよりもはるかに面白い、と見切っているのです。それで路上観察学という新たなアートの世界に入られました。

1970年から2014年にかけて、実業世界と虚業世界のギャップは、さらに広がっていることに疑問を抱く人はいないでしょう。 (ここでいう”虚業世界”は、純粋なアート作品創造という意味です)

アーティストは、顧客に対して、ますます面白くなっている実業世界を凌駕する虚業世界を提示できなければ、作品を購入してもらえない宿命の中で生きています。

それを一番理解しているのは、当のアーティストのはず。当然、悩みは深いでしょう。時代は違えど、ルノアールも、セザンヌも、ピカソも、ポロック、ウォーホルも、作品を出した当時は現代アート作家とみなされていたわけで、同じように悩んだでしょう。そんな悩みの中から彼らが発表してくる作品は、「実業世界よりも私の作品の方が面白い」 という自信に溢れているものであるはずです。見方を変えれば、「魅力に溢れた実業世界に対する挑戦状」 が現代アート作品ということになります。

現代アートの作品を観る機会があれば、われわれ鑑賞者側は「どれどれ、あなたの挑戦状を見せてもらおいうじゃないの」 という、高飛車な視点で眺めてみてはどうでしょう。そうすると、また違った世界を作品は見せてくれるかもしれません。

赤瀬川原平さんのお話は次稿に続きます。

なぜ日本からスーパーシェフが生まれるのか

回転スシ世界一周
ペン  = ラミー : サファリ (Mニブ)
インク = 色彩雫 : 竹林

日本料理、あるいは日本の食文化がこれまで世界に進出していくことができなかった主な理由のひとつに食材の問題があると思う。(中略)
日本料理、とくに生の魚が絶対必要なスシは、流通や冷蔵のシステムが保証されなければどこへも出て行くことはできない。(中略)
その意味で、スシというのは、きわめて現代的な、その存在のために技術革新が必要な食べ物なのである。ようやく21世紀を迎えようとする時代に、満を持して世界の舞台に登場してきたのは決して偶然ではない。

玉村豊男 : 回転スシ世界一周 
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玉村さんの 「回転スシ世界一周」 は2000年に出版された本です。玉村さんはこの本で、「日本料理が急速に世界で広まっている背景には、健康ブームだけでなく、各国における流通事情の進歩が大きな要因としてあげられる。なぜなら、日本料理を作るためには、食材の鮮度が重要だからである」 という分析をされています。

すなわち、世界の流通革命が、食文化に大きな変化を与えている、ということです。

流通が未発達の時代、食材は干物、塩漬、酢漬、砂糖漬、オイル漬などの保存食を利用したり、生鮮食材に火を通して加熱消毒することにより、人類は食の安全を保ってきました。

これに対して、日本はきわめて恵まれた地理、自然環境にあったため、流通が未発達の時代でも生鮮食材を生で食べることができたわけですね(内陸部は難しかったと思いますが)。

「新鮮な食材は、できるだけ生で食べた方が美味しい」、これは日本人にとっては常識です。しかし、世界全体を見渡してみれば、この事実を理解している人々は、まだまだ少数派なのです。

「今は流通も進歩したから生で食べても大丈夫」 と頭ではわかっていても、子供の頃から 「煮えすぎ」「焼きすぎ」 の料理をずっと食べてきた人は、そういう料理が自分にとって 「美味しい」 という判断の基準になってしまっています。

しかし、さすがに食の先進国、フランスは、「新鮮な食材の持ち味を生かすには、火を通しすぎない方がよい」 ということを早くから認識していました。実際には、1970年代、当時のトップシェフ、ポール・ボキューズが来日し、日本料理に感銘をうけ、新しいフランス料理 (ヌーベル・キュイジーヌ) を打ち立てた頃から、食材と火の入れ方の関係に細心の注意を払うようになっていったと言えるでしょう。

私も仕事で世界各国のお客さんと食事をしてきましたが、フランス人のお客さんは、例えばステーキを食べる場合でも、火の入れ方にこだわる方が多いです。日本人同様、焼きすぎるのを嫌います。外側が炭火でカリっとして、中は薄いピンクで絶妙な火の入り方だったりすると、すごく喜びます。

もともと料理にうるさいフランス人ですが、中流階級の人々まで、火の通し方にこだわりを見せるようになったのは、ここ20年くらいではないでしょうか。ポール・ボキューズが1970年代に新フランス料理をスタートして、それが一般家庭レベルに浸透するまで20年以上はかかったと思うのです。

こうしてみると、高級レストランのみならず、一般レストランでも、フランスは客の目がシビアであるため、シェフは火の通し方に細心の注意を払わねばなりません。ちょうど良い火の通し具合でないと、客は評価してくれませんから。これに対して、イギリスやドイツだったら、お客さんは火の通り具合なんて気にしませんから、シェフからすれば適当に焼いて皿を出せばよいわけで、気楽なものです。

フランスのシェフの腕が磨かれるのは、こうした客の厳しい目があってこそなわけですね。

客の厳しい目という点でフランスの環境に似ているのは、日本ではないでしょうか。だからこそ、フランス人の目からみても、日本には良い洋食系レストランが多いということになるのでしょう。

そして何よりも、料理を作る日本人シェフたちが、子供の頃から新鮮な食材と火の入れ方の関係にこだわる文化の中で育っていることを忘れてはなりません。

先ほどお伝えしたとおり、料理先進国のフランスでも、中流階級レベルの人が、食材と火の入れ方の関係に注目しだしたのは最近の話です。ということは、現在のフランスのトップシェフたちの多くは、子供の頃、日本人から見れば 「煮えすぎ」「焼きすぎ」 の料理をあたりまえのように食べていた人たちだったわけです。彼らは、プロの世界に入ってから、食材と火の入れ方のバランスの重要さ知った世代です。こうした繊細さが重要な部分においては、日本人シェフがまだ有利といえるでしょう。

世界における流通の進歩とともに、人々の食に対する好みも、フランス人と同様、生に近づいてゆくのは必然の流れです。

この流れの中で、日本料理に対する需要も増えるでしょう。

しかし、その一方で、日本料理以外の料理の調理も、より生に近づいてゆくはずです。フレンチであれ、イタリアンでれ、中華であれ、そこに新鮮な食材への火の入れ方を熟知する日本人シェフが、これまでにない新たな境地を開拓する可能性が潜んでいるはずです。世界のエグゼクティブやセレブレティたちから、「東京に行けば、世界各国の最先端料理を食べられる」 と言われるようになる日は、そう遠くない日に来るのではないかと私は思っています。

国宝 洛中洛外図が教えてくれるもの

やりたいことは全部やれ
ペン  = ペリカン : M800 (Fニブ)
インク = モンブラン : ロイヤル・ブルー

ジャンボジェットに乗っているときに睡魔に襲われたとする。しかし、どういうわけか、あのエンジン音を聞きながら眠っていると、飛行機が低空飛行し、マンハッタンの街やトンネルを抜けていく夢をよく見る。
なぜなのかはわからないが、そういう夢なのである。あるときは、ANAをハイジャックした一橋大出の人ではないが、私もまた夢の中で、レンボーブリッジの下をくぐったりしてしまう。両脇の主翼が引っかからないか、ぐっと緊張の一瞬であるが、幸い正夢になったことはない。

大前研一 : やりたいことは全部やれ
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びっくりしましたが、大前研一さんと同じような夢を私は過去に繰り返し見ています。

私の場合は、羽田空港から機体が離陸した後、荒れている天気のため、そのまま上昇できず、高速道路の高架橋の下を超低空飛行で飛び続ける夢です (下は川です)。自分は窓際の席に座っていて、翼が高架橋に当たらないかと冷や汗をかき続けます。

あんまり何度も続けてこの夢を見るので、父親がパイロットだという人に、そのようなことが現実にありえるのか聞いてもらったこともあるくらいです(そんなことは当然、ありえません)。

最近はこの夢を見なくなりましたが、あの大前さんと同じような夢をみていることを知り、少し嬉しくなりました。深層心理で、私も大前さんと同じような悩みを抱えていたのかもしれません。

心理学の巨匠、ジーグムント・フロイトだったらこの夢で、どんな分析をしたのでしょうね

この夢の他に、私は自分の身体が軽くなって、空を飛ぶ夢もよく見ます。この場合、いつも決まって、夢の中で集中力が途切れた途端、飛ぶ力を失い、地面に叩き落されるのです。だいたい、落ちた瞬間に目が覚めます。

このように空を飛んでいる夢は、多くの方が見た経験を持っていると思います。

さて、ふと思ったのは、気球や飛行機が発明される前の時代、人は空を飛ぶ夢を見たのだろうか、ということです。

我々が空を飛んでいる夢を見るのは、飛行機等で実際に飛んだ経験があるため、もしくは、自分が鳥になったような映像をTVや映画などで見ているためではないでしょうか。

人類が空を飛ぶという経験が無い時代に、飛んだ夢を見れた人というのは、ものすごい想像力のあった人だと思うのです。 「もし自分が鳥だったら、空から見ると、飛んでいるときの景色はこう見えるだろうな」 と自らを幽体離脱させるイメージが不可欠となります。

16世紀に書かれた洛中洛外図は、まさに鳥の視点で描かれています。
洛中洛外図の謎

自らが飛んだ経験もなく、飛んだ鳥の視線から見た映像も見たことがない人が、こんな絵を描いたのです。なんという想像力でしょう。人間の想像力には限界がないということを教えてくれます。

そんな背景をふまえたうえで、洛中洛外図を見ると、また新たな発見があるのではないでしょうか。

潜在意識に記憶を残す読書

採用の超プロが教えるできる人できない人
ペン  : プラチナ ・ プレジール (Fニブ)
インク : プラチナ ・ ピンク

私はビジネスマンとして必要な素質は三つあると考えている。
・ 素頭のよさ (コミュニケーション能力、論理的思考力)
・ 素直さ
・ エネルギー量
これら三つの条件はすべて、訓練でよくなったり増えたりするものではない。

安田 佳生 : 採用の超プロが教えるできる人できない人
====================

教養本を読んだ後、「そうか、この点は仕事に生かせるな」 と思っても、3日もしないうちに忘れてしまう、そんな方は多いと思います。私も同じです。

しかし、「そうやって忘れたとしても、潜在意識の中に、読んだ記憶は残っており、何かのときに役に立っているのではないか」、と思えることが先日ありました。

私は、本を読んだ後、気になった言葉を書きとめるようにしています。この読書録は、時々、気になるところだけ検索することはあるものの、最初から読み返すことはありませんでした。

しかし、先日、パラパラと読み返していたら、「採用の超プロが教えるできる人できない人」 という本で書き残したコメントが目に止まったのです。

そこには上記のように、「ビジネスマンとして必要な三つの素質」 について記されていました。この本はヘッドハンティングの専門家が書いた本なので、ヘッドハンターがビジネスパーソンの能力を判断するポイントということになります。

* 素頭のよさ (コミュニケーション能力、論理的思考力)
* 素直さ
* エネルギー量

この本を読んだのは、2003年5月18日でした。

これを見て、「あれっ、先日書いた、『面接官として私が評価するポイント』 と同じじゃない?」 と思ったのです。

私が記したのは次の三点でした。

1) 性格は素直であること
2) コミュニケーション能力があること
3) 企画力・実行力があること

偶然にしては、あまりに似すぎています。

私がこの三点の結論に落ち着いたのは3年前でして、ここに落ち着くまで、ずいぶん悩んだことを覚えています。「採用の超プロが教えるできる人できない人」 の読書録は読んでいません。

なぜ同じような結論になったのでしょう?

もしかすると、この三点が、「採用面接」 で判断する際の真理に近いところにある、ということなのかもしれません。

しかし、私は、2003年に読んだ後、忘れていた記憶が潜在意識の中に残っていて、それが噴出してきたのだと思っています。

そう考えると、教養本を読んで、すぐに中身を忘れても全く問題は無いということになります。忘れても、潜在意識、無意識の世界には刻まれているのですから。むしろ、意識の世界よりも、無意識の世界に刻むことの方が重要です。本を読むことの大切さは、そんなところにあるのかもしれません。

これからも、どんどん読んで、どんどん忘れていこうと思います。

ポルトガル風になったプレジール万年筆

ポルトガルって、ヨーロッパの中では地味な国ですよね。どんな国かと聞かれても、あまりイメージできない方が多いかも。

私は実際にポルトガルに行ったことがあります。スペインと似ているところもありますが、もっと落ち着いた雰囲気があります。いいかんじで枯れていて、日本人に合う文化のように感じました。魚を中心とした料理も美味しかったですね。作家の檀一雄がポルトガルをこよなく愛した話はよく知られていますけれど、その気持ちはわかります。

さて、今、世界中で一番有名なポルトガル人といえば、サッカーのクリスチアーノ・ロナウド選手でしょう。
クリロナ

彼のユニフォームをご覧いただくとわかりますとおり、ポルトガルの国旗は、赤と緑が基調になっています。
ポルトガル国旗

前項でプレジール万年筆の、レッドとグリーンの二色をお見せしましたが、やってみたかったのはこれでした。

ポルトガル風万年筆。
万年筆 プレジール3

キャップを尻軸にポストしたところ。
万年筆 プレジール4

プレジールのメタリックなテカりが、レッド&グリーンのMIXで、綺麗に映えます。

以前、「LAMY アメリカン・サファリ」でお伝えしましたが、色を組み替えるだけでガラっとイメージが変わって、明るい気持ちになれます。

なお、プレジールの細字と中字、太さはあまり変わらない印象です。こころもち中字の方が太いです。
プレジール3

太さは、個体差があるかもしれませんね。

どちらも書きやすくて気に入っています。

プラチナ万年筆の プレジールを持って飛行機に乗る

一般に「飛行機の機内は気圧が低いため、万年筆を持ち込むとインクが漏れることがある」と言われます。

私が好きな「ベトナム万年筆生活」というサイトでは、サイト主さんが万年筆に持って飛行機に乗ったところ、インク漏れの事故を起こされた事例が紹介されています (「飛行機でやっちまった! 万年筆の持ち運び」)。

本件について、パイロット社の筆記具ミュージアムに行って聞いてみたところ、「もしインクの入った万年筆を飛行機に持ち込む場合には、インクを満タンに入れ、ペン先を上向きにするようにしてください」というアドバイスをいただきました。

「旅先でも万年筆は楽しみたいけれど、『インク満タンでペン先上向き』 を気にしないといけないのも面倒だしなあ」と思っていたのですが、ふと、スリップシール機構(キャップを密閉しインクの蒸発を防ぐもの)のある万年筆ならば、気圧変化があっても問題ないのではないか、と考えました。

そこで、インクが暴発してもお財布にやさしい「プレジール」で実験してみることに。

グリーンがM(中字)、レッドがF(細字)です。
万年筆 プレジール1

それぞれにカートリッジを入れており、グリーン軸にはブラウンのインク、レッド軸にはピンクのインクを入れています。それぞれインクが60~70%残っています。
万年筆 プレジール2

さて、キャップを嵌めて、念のためビニール袋に入れて、機内に入りました。ペンの向きは横向きです。

機内ではキャップを開けませんでした。さすがにキャップを開けると気圧差の影響を受けると思ったので。

1時間のフライト後、おそるおそるビニール袋を開けてみましたが、全く問題ありませんでした。

これで、プラチナのスリップシール機構付きの万年筆なら、旅先でも万年筆を使えそうだということがわかりました。次は欧米向け長距離路線で実験してみるつもりです。

事故が無かったグリーン軸のプレジールで、沢木耕太郎さんの「旅の力」を模写してみました。ピカッ光る軸とペン先のカラーのおかげで、書いていて楽しくなる万年筆ですね。
沢木耕太郎 旅の力

コスト・パフォーマンスの良い万年筆だと思います。
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