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現役引退後、どこに住むか

断捨離
ペン  : カステムヘリテイジ912 (FAニブ)
インク : 色彩雫 紺碧

「仕事が生きがい。生涯現役でいたい」という人もいますね。私の勤める業界でも、引退を良しとせず、仕事を楽しみながら続けておられる方がいます。

それで私自身はどうかというと、一度きりの人生なので、様々なことにトライしてみたいです。だから、今の仕事で一区切りついたと思えるときが来たら引退しようと思っています。

引退後は、ストレスフリーを前提とした新たなビジネスを始めるのも良し、趣味に生きるも良し、趣味が嵩じてプロとなるのも良し、ボランティア活動もよし、と思っています。そのように考え始めて10年経ちました。

さて、問題は引退後の生活の拠点をどこにするかです。

最初のうちは、海外もいいかな、と思っていました。物価も安いところで、地震の心配もなく暮らせるならいいかと。

しかし、長く続いたデフレのおかげで、コストパフォーマンスを考えると日本の生活はかなり割安になってしまいました。海外で日本よりコストパフォーマンス(外国語で暮らす不便性等も考慮して)のよい国があるかと考えると、なかなか適した国が見つかりません。

では日本に住むとすれば、どこに住むのか。

東京に住み続けるという選択肢もあります。しかし私は日本では東京でしか生活したことがないので、地方にあこがれます。

まず、私は温泉マニア故、温泉を楽しめる町に惹かれます。そうしたことから別府と那須は、有力候補になっています。両方とも源泉の種類が豊富なので(那須は特に那須塩原)、毎日、「今日は乳白色の硫黄泉に行ってみるか」とか「寒いから塩泉に入って身体を温めるか」とか行く温泉を替えて楽しめます。観光客の少ない平日に、源泉100%かけ流しを毎日満喫できたら、こんな極楽はありません。

別府の場合の難点は、東京まで遠いこと。親の墓もあるので、東京と完全に縁を切るのは難しいです。那須の場合の難点は、冬の寒さですね。

次に考えるのが、もうひとつの趣味である写真撮影を楽しめる京都です。京都は一年中、狙いたいスポットがたくさんあり、何年撮影しても飽きることが無さそうです。「よそ者に冷たい町」とも聞きますが、近所づきあいをあまり気にせずにすむマンション住まいならばそれも問題無いかと。ただし問題は、不動産価格が高いことと夏冬の気候が厳しいことです。

神戸にも惹かれます。物価が東京に比べて安いうえ、文化レベルが高く、大阪はもちろん、京都や奈良も日帰りで楽しめるメリットは大きいです。京阪神エリアは歴史が深いので見所も多く、一生楽しめそうです。

私はまた、島めぐりも好きなので、瀬戸内海の島々をめぐる遊びも楽しそうです。

沖縄にも興味があります。夏はたしかに暑いけれど、今は本州も暑い年が多く、ここまでくるとあまり差を感じません。むしろ、冬の暖かさが沖縄に住むメリットでしょう。文化的にも独特のものがあり、沖縄探訪は小さな島々めぐりも含めて、飽きることが無さそうです。

何年か山陰に住んでみたいという思いもあります。北陸まで新幹線が通る時代になりましたが、山陰はたぶん、今後も新幹線は通らないでしょう。本州でありながら、隔離されたエリアのイメージがあります。そんなところだからこそ、古き良き日本の姿がまだ残っているはずです。神話にまつわる名所旧跡めぐりを含め訪れたいところがたくさんあります。魚も美味しそうですから、まだ経験の浅い釣りを極めてみたいです。

こんなわけで、日本だけでも住んでみたいところが一杯あって悩ましい。そこで最近は「2~3年で、どんどん住むところを変えてゆくか」と考え、妻にもそう話しています。

東京の家は賃貸に出して、その代わり自分たちは借家で地方都市を転々と回るという作戦です。何年か住んで、「ここならば永住していいや」と思うところが見つかれば、東京の家を売って完全に永住するということもできますしね。

この作戦を実行するために必要なこと。それは「引越しの達人」になることです。だからこそ、持ち物を減らさねばなりません。今の仕事が無くなればスーツ類も必要無くなりますから、私の持ち物としては本が最大の課題。この解決策は寂しいですけれど、本を電子化したうえで処分することでしょうか。何かを得るために、何かの犠牲は必要ですね。

引退後の転居生活に備え、これから家にあるモノにダブりがあれば、安いモノは思い切って処分していくことにしました。上段、やましたひでこさんの「断捨離」にありますとおり「使っているモノがその人のセルフイメージを教えてくれる」のだと思うんですよね。これからは数少ない、いいモノに囲まれる生活を目指します。

こんなかんじで、出張の際の飛行機の中、酒を飲みながら妄想を膨らまして遊んでいます。
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引越しが意味するもの

超一流の整理術

ペン  = ラミー : サファリ (Bニブ)
インク = エルバン : モクセイソウグリーン

「整理と片付けができたら仕事は終わったようなものです。(中略)整理をすることで物事がシンプルに考えられます。これが最も強いのです」

「引越しは面倒くさいのでモノが減るいいきっかけになります。引越しして運気の上がる人は、引越しの際にモノを処分した人です」

(中谷彰宏著 : 超一流の整理術)

2002年に結婚してからずいぶん引越しをしてきました。数えてみると、2003年、2006年、2008年、2009年、2011年、2012年、そして先日、また引越ししました。結婚後に住む家としては8番目の家となります。

一人娘は2006年の引越し後に生まれました。7歳のこの子にとって、今度の家が6番目の家となります。異常ですね。

これだけ引越しをすれば、さぞかし「引越しの達人」になるかと思われることでしょう。しかし、実際のところ、我が家の引越し技は全然上達しておりません。

引越しをすると、どうしてもモノを壊したり、紛失したりします。数々の引越しを経験して、そうした事態に対する諦め、達観、という点だけは進歩しました。

引越し技術が上達しない最大の理由は増えるモノの量です。

自分に限ると、本の増加はどうしても抑えられません。人にあげたり、古本屋に処分したりとがんばってはいますが、どうしても増えてゆきます。しかし、知的生活を志向するうえで、これはどうしても避けられないとあきらめています。

あとは娘の成長に伴い、娘のモノが増えてゆくのも避けられないところ。

結局、勝負は、それ以外のモノをどれだけ削れるかにかかっています。
新しいモノが入ってきたらその代わり古いモノを捨てる。この行為が以前お伝えした「整理」です。しかし、家にあるモノには「これ、ボーナスはたいて買ったんだよなあ」とか「○○さんからもらったモノだから。。。」とか、なんらかの情念が乗り移っているものがほとんど。

整理、すなわち「理をもって捨てる」という行為は、自らの執着との戦いと言えるでしょう。この戦いに勝った者に凜とした生活が訪れます。

究極的には、永平寺の修行僧のように、最低限の持ち物で暮らす生活に行き着くのでしょうね。あれくらい身軽になれば、引越しなんて楽勝です。しかし煩悩まみれの我が家には、まだまだ遠い道のりです。

繰り返し訪れる引越しの機会は、私の家族にとって天から与えられた気づきのためのプレゼントなのかもしれません。

「ああ、今度の引越しは楽だった」と言える日が来るまで、天からのプレゼントは続きそうな予感がします。

運の総量という考え方

大橋巨泉

ペン  = ペリカン : スーベレーン M800 (Fニブ)
インク = モンブラン : ローヤルブルー

「ボクは『運』というものを信じている。しかし運というものが、人の力ではどうにもならないものである以上、これは“神”によって与えられるものと考えるしかない。とすれば万能の神がくれるものだから、平等のはずである。したがってボクの持論である『人間運の総量は同じ』になる。(略)したがって、『運』をつまらないことに使うことを、ボクは極端に嫌う。福引みたいなものは、外れると大喜びするし、当たっても賞品を誰かにやってしまう。」
(大橋巨泉著: 巨泉-人生の選択)


「平凡な人生こそ真の人生」と前電でお伝えしました。しかし、世の中には、本人の努力を超えたレベルで運に恵まれて、皆がうらやむ人生を歩む人がいます。

大企業で出世して重役になる、独立した事業で大成功する、親が大金持ちでその遺産をあてにできるから働かなくても食べてゆける等々。もって生まれた美男・美女という運もあります。私がどんなに努力しても「キムタクに似ているね」と言われるようにはなりませんから。

やっぱり「平凡な人生」ではなくて、「(自分の努力ではなく)運に恵めれて、人からうらやましがられる人生」を歩みたい思うのが普通だと思います。

そんな中、前段の大橋巨泉さんのように「人間運の総量は同じ」と考える人もいます。本当にそうでしょうか? どこまでも運のいい人、っているのではないでしょうか?

この点に関し、現在、私は「運の総量は基本的に皆同じ」という考えに傾いています。

たいした努力もしていなさそうなのに大成功しているように見える方は、光の部分の裏に必ず陰の部分を抱えている、というように思うのです。この陰の部分がご自身の努力であることもあるし、表からは見えない幸運の裏返し、すなわち不運の部分であることもあります。つまるところ、人生のプラスとマイナスは、例外はあるにせよ、基本的にだれもがゼロではないかと考えています。

50年にも満たない人生経験ですが、友人、知人の様々な人生を鑑みて、そう思うようになりました。

大橋巨泉さんは「福引みたいなものは、外れると大喜びするし」と述べておられますが、私も「運の総量は同じ」と考えるようになってからは、一般的に「不運」というような出来事に遭うと「幸運のための貯金ができた」と思えるようになりました。

欧米、特に米国の富裕層が巨額の寄付をする報道をよく目にします。これは宗教による影響もあるでしょうし、寄付金による減税メリットなどの理由もあるでしょう。しかし、本音のところは次のような思いからではないかと思うのです。「自分がここまで成功できたのは、幸運に恵まれ続けたことが大きい。しかし、人生、幸運ばかりが続くはずは無い。お金が手元にある今のうちに、寄付をすることで不幸の襲来から身を守ろう」すなわち、巨額の寄付金は、米国の富裕層にとって「お守り」という位置づけではないかと思うのです。

私自身の人生を振り返ってみると、子供の頃から努力することが苦手でした。今でも筋トレみたいなストイックな努力は苦手です。したがって努力で「陰」を埋め合わせるということはできません。そんな私が「平凡な人生」という幸運に恵まれています。

私の幸運の裏返しとなるの陰の部分は何なのかと考えると、弟の死だったと思います。私が6歳のとき、弟を病気で亡くしました。今思い出しても、涙が出ます。人生で一番辛い経験でした。

私の人生の陰の部分を、幼い弟が背負ってくれた、そのおかげで今の恵まれた自分がある、そうとしか考えらないのです。

努力できない中途半端な自分ではありますが、亡くなった弟への感謝の気持ちを忘れないこと、そして弟の分まで人生を楽しむこと、それが自分の責務だと思っています。

”山本五十六の真実”を観て

山本五十六
ペン: マイスターシュテュック149(BBニブ)
インク:ペリカン (ロイヤルブルー)


自分の意識している三つの習慣について以前お伝えしましたが、その一つが”約束の時間を守る”ということです。

この”時間厳守”で思い出したのは、連合艦隊司令長官だった山本五十六のことです。

山本五十六については「やってみせ、言って聞かせ、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という名言以外のことは、あまり知りませんでした。

1943年4月18日、ブーゲンビル島で撃墜され、山本は戦死します。当時、日本軍の暗号は米軍側に解読されていたため、待ち伏せであっけなく撃墜されたという理解で私はおりました。

しかし、先日放映された「山本五十六の真実」という番組における米太平洋艦隊情報参謀、エドウィン・レイトン氏のインタビューを観て、この撃墜事件に織り込まれたドラマを初めて知りました。

米軍側は、暗号解読により、山本機が6時にラバウルを出発し、7時30分すぎにブーゲンビル島に達することを察知します。ブーゲンビル島周辺は当時、日本の制空・制海権であり、米軍のガダルカナル基地から600kmの距離にありました。この予定を事前に察知していたとはいえ、山本機撃墜は容易なことではなかったのです。

理由の第一は、日本コントロール下にあるブーゲンビル島上空で、長時間待機することはできなかったこと。このため、米軍側はブーゲンビル島まで日本軍に見つからないように超低空で進み、ブーゲンビル島で急速に上昇、山本機を発見後、急降下して撃墜する作戦しか組めなかったのです。

理由の第二は、ガダルカナル基地から600kmもあったこと。帰路を考えると、長時間の空戦で燃料を消費することは許されず、短時間で仕留めて戻る必要がありました。

理由の第三は、米軍側が暗号解読に成功している事実を日本軍側に知られてしまう危険性があること。

しかし、米軍側は、日本海軍の人事まで研究しており「山本以外、日本海軍に有能な将軍はいない。困難なミッションではあるが、山本機を撃墜できれば、そのリスクに見合う大きな成果を期待できる」と決断します。

山本は時間どおりに来る、という前提が無ければ成立しない作戦でした。エドウィン・レイトン氏は「待ち伏せの時間は2~3分しかない。ガソリンがなくなるんだ。帰れなくなる。だから山本が時間に正確であることが計画の前提だった。」と述べていました。

実際には、米軍側のシナリオとは少し異なり、米軍が日本軍の編隊を発見したとき、高度は山本機一行よりも下であったそうです。しかし、油断をしていた日本軍側は米軍側よりも敵発見が2分ほど遅れてしまいました。当時の空戦の勝敗はどちらが先に敵を発見したかでほとんど決まってしまいます。こうして山本機は撃ち落とされてしまいました。

軍人らしく時間に厳しかった山本五十六、それを逆手にとって、確率が高いとはいえない勝負に挑んで目的を達した米軍。この日、ちょっとした手違いで山本の出発が10分遅れたら、もしくは日本軍がラバウルからブーゲンビル島へ飛行するフライトの速度がもう少し速ければ、時間はズレて、運命は全く違うものになっていたでしょう。

さて、ここであらためて山本五十六について考えてみたいと思います。なぜ彼は危険な最前線視察を行ったのか?「本人は望んでいなかったが、(様々な事情により)最前線に行かざるをえなかった」という説もあるようです。しかし、山本が残してくれた言葉から考えると、私は山本が自ら望んで最前線に行ったのではないか、と思うのです。

山本は旧長岡藩士の家に生まれます。山本の幼少期、河井継之助を中心として長岡藩にまつわる話をいろいろ聞かされて育ったはずです。将たるもの、何をなすべきかということについては、骨身にしみて理解している人だったでしょう。

「やってみせ、言って聞かせ、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」の言葉は、よく人心掌握術の言葉として取り上げられるのですが、山本がこの言葉で伝えたかったのは人心掌握ではなかったと思うのです。真意は「自分の子供に対する愛と同じように、部下にも愛を与えなければならない。それが将たる者の使命である」ということにあるのではないでしょうか。この言葉を声に出して読めば読むほど、そう感じます。こんな面倒なこと、自分の子供はおろか他人にするとすれば、愛が無ければできません。

最前線を肌で感じて、この戦局をどう立て直すかを考えねばならない。そして、生きて国に帰れるとは思っていない、最前線でがんばる部下たちに、せめて勇気だけでも与えたい。そんな思いで山本は最前線視察を決断したのだと思います。まさしく自分の言葉どおりに実践し、そして散った人でした。

自分と山本五十六を比べるなんて、おこがましい事はとてもできません。しかし、書類とメールと数字だけをみて安易に判断していないか、忙しさにかまけて現場から足は遠のいていないのか、がんばってくれる部下に対する愛の言葉を忘れていないか、そんなことを山本五十六の最後から学ばなければ、と思いました。

平凡な日々とフェーデラーの言葉

フェーデラー
ペン=カスタムヘリテイジ912(FAニブ)
インク=色彩雫、紺碧


「平凡な人生こそ真の人生だ。虚飾や特異から遠く離れたところにのみ真実があるからだ」スイスの作家、フェーデラーの言葉です。

私が社会人になりたての頃、取引先の取締役の方にごちそうになったことがありました。食後、銀座にある彼の行きつけのバー(ホステスさんがおられるところではなく、ハードボイルド小説に出てきそうなバーテンダーとカウンターだけのバー)でドライ・マティーニをごちそうになりながらその方は、うっすらとした笑顔を浮かべながらこうおっしゃいました。「、、、なにごとも、ほどほどが一番ですよ。。。」

「そうなんですか~」とうなずきながら、その言葉をよく理解できない自分がいました。やっぱりファラーリに乗りたかったし、豪華マションに住みたかったし。毎日銀座で寿司食べたかったし、「ほどほどが一番」とは到底、思えなかったのです。

しかし、この年齢になってみて、わかってきた気がします。

家族が健康であること、住む家があること、ご飯を毎日食べられること、爆弾が落ちてこないこと、こんな自分でも雇ってくれる会社があること。全て、あたりまえのことですが、これを毎日続けられる人って、世界のレベルで考えればそれほど多くはないはずです。自分は恵まれているんだ、ということがわかるまで、ずいぶん時間を要しました。

フェーデラーはなぜこの言葉に辿りついたのか。それはフェーデラーが生涯、喘息を患っていたことと大きく関係があるように思われます。喘息の発作がおさまった時に感じた心の平安、その経験の結実として生み出された言葉なのでしょう。

だれもが日々の生活においてストレスに晒されています。そして、ストレスの連続に立ち向かうことがまさに平凡な人生であるといえましょう。平凡な人生のためにストレスが必要な要素であるならば、ストレスもまた、自分にとってありがたい存在なのかもしれません。

今日もおかげさまで平凡な一日を過ごすことができました。感謝です。

エルバン モクセイソウグリーン

モクセイソウグリーン

エメラルドグリーンという色が子供の頃から好きでした。この色のインクはないかと探してみたら、近いものがありました。Kobe INK物語の布引エメラルドです。しかし残念ながら売り切れ。

似たものはないかと思って探し当てたのが、エルバンのモクセイソウグリーンでした。パッケージにはフランス語名で「Vert Reseda」と書かれています。Vertがグリーンで、Resedaがモクセイソウですね。

エルバンのインクボトルは30mlですので小ぶりです。

インクボトルの蓋の手前には微妙な窪みがあります。これはなんでしょう、「ペンを置きに使ってください」ということですかね。試しにペンを置いてみましたが、相当バランス悪いです。かなり細いペンでないと置けません。

モクセイソウとは聞き慣れない名前です。調べてみたところ、日本を含む東アジアには自生していないようです。googleでこの草の写真を見ましたが、インクの色とは全然違うような。。。

さて、このインク、色は予想どおり自分の好み。青・緑に少し黄色と白を入れて混ぜたようなかんじです。

この色、自分の記憶を辿ると、昔、チリの首都サンチアゴからアンデス山脈を登ったところにある、ポルティージョというスキー場の横にある湖で見た水の色に似ていました(スキーのオフシーズンの夏に行ったので湖面の水は溶けていました)。アンデスの山々に囲まれた中に浮かび上がる湖の水面に、雲ひとつ無い空から太陽の光が降り注ぎ、神々しい風景でした。

添付のとおり、FニブとBニブで書き分けてみましたが、だいぶ印象が異なりますね。やっぱり太字で書いた方が、インクの美しさをダイレクトに楽しめると思います。

フローは滑らかで、詰まりにくいインクです。お値段の安いインクではありませんが、一瓶買えば、かなり楽しめますからオススメできます。

布引エメラルドも早く復活して欲しいです。

SANAAと矯正

50歳も近づいてきたという年齢でありながら、2014年、私は歯の矯正を始めました。

もとよりひどい歯並びでしたが、外見上の問題はそれほど気にしませんでした。しかし、それでもこの年齢になって矯正を決断したのは、ますますひどくなる歯並びと、食事のたびに歯にモノが詰まる不快感から脱したかった、ということがあげられます。

しかし、それ以上に、身体から『凜』としてみたい、という気持ちが強かったです。凜とした人生、凜とした人間、という自分の目指す方向で考えたとき、直感的にこの歯並びはそぐわない気がしたのです。

現代を代表する建築家のSANAAをご存知でしょうか? 妹島和世さんと西沢立衛さんという二人の日本人建築家のユニットです。SANAAは建築界のノーベル賞ともいえる、プリツカー賞を2010年に受賞しています。

数々の有名な作品を残されていますが、最近の大きなプロジェクトとしては、ルーブル美術館の別館である、ルーブル・ランスがあります。 ↓
ルーブル ランス

フランスの象徴であるルーブル美術館の設計を日本人に任せてくれた、というのは、美の追求のためならば国籍は問わないというフランスの進取の精神を感じるとともに、日本人として嬉しく思います。

さて、そのSANAAの妹島和世さん、1956年生まれなんですけれど、昨年放映された番組の時点では歯の矯正をされていました。「妹島さんがあの年齢で矯正されるならオレもやってみるか」というかんじで、矯正に踏み切れた気もします。口の中に異物を押し込まれた状態で数年間、我慢しなければならいので、このようなきっかけが必要でした。

自分が矯正を始めてから思ったのは、自分と全然次元は違うとはいえども、根本のとのころ、妹島さんが矯正を決意されたのは自分と同じ理由だったのではないか、ということです。

建築というものは、ある意味で自然と対峙するものです。大地に人間がモノを作り上げるわけですから。こうしたことから、自然を戦う対象としてとらえてきた西洋の文化の結晶が建築というアートなのだと私は考えています。

そんな建築の世界において、SANAAの作品は、透明感、ナチュラル、という感性で建築界に旋風を巻き起こしたのです。自然と対峙する建築から自然と共存する建築へ、という20世紀末から出始めた建築界のムーブメントの最先端にSANAAはいます。私は、SANAAの作品に凜としたものを感じます。

そのような仕事のされる中で、妹島さんは「自分の哲学に沿った形で身体を変えてゆきたい」という思いがあったのではないか、と思うのです。別な言い方をするなら、自分の生き様に対するこだわりが、妹島さんをして矯正に向かわせたのではないか、私はそう感じました。

この真意、いつの日か妹島さんに会って、直接聞けたらいいなあ、と思っています。実際に会ったら萎縮して何も聞けないかもしれませんが。

岡本太郎 「今すぐに鉛筆と紙を手にすればいい」

岡本太郎01

子供の頃から、岡本太郎さんのことは知っていました。今でも、「芸術は爆発だ」「グラスの底に顔があっても良いじゃないか」のコマーシャルは記憶に残っています。子供の頃のコマーシャルで今でも覚えているものって、ほとんどありませんから、それほど強烈なインパクトがあったということですね。

しかし、岡本太郎の芸術作品については「なんか気持ち悪い」と言う印象でした。私自身が昔は芸術に全然興味を持てなかったこともあり、岡本太郎は遠い存在でした。

そんな私も年齢を重ねるにつれ、何か岡本作品に惹かれるものを感じたのでしょう。川崎市の岡本太郎美術館が開館した1999年当時の新聞記事の切り抜きは今でも持っています。

その後、岡本作品が持つ、あの強烈なパワーにどんどん惹かれるようになっていき、岡本太郎に関する本も何冊か読むようになりました。

「今すぐに鉛筆と紙を手にすればいい。それだけだ。」
「なんでもいいからまずやってみる。それだけなんだよ。」

このふたつの言葉は「壁を破る言葉」という本に載っていたものです。

ペンはサファリの中字、インクは色彩雫の秋桜です。写真でうまく表現できませんが、このピンクの色合いがカワイイです。仕事の場で使って部下のレポートに赤ペン入れても、この色ならば受け取る側もあまり傷つかないかな?

さて、パラパラと「壁を破る言葉」を眺めていた際、小職のブログの前の記事が、ロットリング600の話だったこともあり、「今すぐに鉛筆と紙を」の言葉が目に止まりました。最初はこの言葉の意味がわかりませんでした。続いてページをめくっていたら「なんでもいいからまずやってみる」の言葉がでてきて、なるほど、と思ったしだいです。

私の中では、岡本太郎は文明化の進展と共に人間性が失われる状況を危惧し、人間が本能として持つ力のすごさを、なんとかして皆に伝えたいと格闘した人だと思っています。

したがって、本能を研ぎ澄まし、本能的に生きた人でありながら、それを世に伝えるために超理性的な一面も兼ね備えているという、とてつもなくすごい人だったと思います。

そんな岡本太郎が残したこのふたつの言葉について、私の解釈は「あーだこーだ言う前に、まず動け。止まっていてはモノは見えない。動き出すことでモノが見える。それから考えろ」というものです。

思い起こせば、自分が考えも方向性もまとまらないまま、ブログを立ち上げたのも、「とにかくまずは動いてみるか。その先、どうなるかは進みながら考えよう」という気持ちからでした。

岡本太郎さんの言葉を見て、気持ちを後押しされた気がします。

あなたが朝一番で手にするペンは何ですか?

Rotring600


起床後にとる行動は、どなたもルーティーン化していると思います。

私の場合は次の行動までがルーティーンとなります。

1)起床する
2)トイレへ行く
3)体重と体脂肪を測る
4)手帳に体重と体脂肪と起床時刻を記載する
5)水をコップ2杯飲む
6)目薬をさした後、海老反り姿勢を30秒維持する

体脂肪のわかる体重計を買ったのは2007年。それ以来、毎朝、体重と体脂肪を測って記録する習慣となりました。

体脂肪が上がると「昨日、揚げ物を食べた後、アイスクリーム食べたからなあ。。。」と反省したり、体重が増えたりすると、「あれだけジョギングして食事の量減らしたのに何故?」と疑問に思ったり。そんなかんじで、朝の計測は毎朝の楽しみとなっています。

この「デジタル体重計で毎朝計測して記録する」という方法は究極のダイエット法だと、後に「ためしてガッテン」を観て知りました。実際のところ、これを始めてから体重は減りました。妻にもおすすめしていますが、「そんなやり方でダイエットできるわけないじゃない」と否定されています。そんな妻は時々、気まぐれに体重計に乗って「あーっ!」とか叫んでいます。

さて、上記4)の手帳の記載の際に使うペンが、毎日、朝一番で使用するペンとなります。

以前は筆箱にあるペンを適当に手にとり、記載していました。しかしペンに興味を持ち出した昨年来、「せっかく朝一番で手にするペンなんだから、どのペンを使うかもっと真剣に考えなければいかんな」と思うようになりました。

まず、私の使う手帳は小さいサイズであり、したがって、体重と体脂肪と起床時刻を記載するのも小さい字となります。極細ボールペンを使うというやり方もありますが、シャープペンが良いだろうと判断しました。

次にどのシャープペンを使うかです。検討の結果、ぺんてるのグラフ1000とスマッシュ Q1005-1を使うようになりました。どちらも評判の高いシャープペンだけのことはあり、私も大いに満足していました。

そんな中、今年の3月、銀座の伊東屋のシャープペン売り場をフラッと覗いたとき、キラりと光るペンを見かけたのです。それがロットリング600でした。

手にしてみると、重い! ペンハウスさんのデータのよると重さ18gです(長さ:143mm 軸径:9mm)。しかし、この重さが心地良いのです。グリップは金属ですけれど、冷たさを感じないタッチになっています。指のあたるローレット加工のキメの細かさにもこだわりを感じます。ペンはローレット加工部分以外は軸が六角形になっており、これも持ち易さに影響しています。

そしてこのペンを手に持つと、指先にまとわり付くような感覚を覚えます。ロットリング社が調査・研究を重ねた結果、たどり着いたこの一点、のバランスなのでしょう。ここにたどり着くまで、どれほど試作品が作られたことか。。。技術者の皆さんのご苦労が偲ばれます。

外観もまたカッコいい! このロットリングにはブラックとシルバーがあり、どちらもカッコいいのですが、私はブラックを選びました。ブラックの中に赤のアクセントがなんともニクいです。このペン先のデザインは兵器のような鋭さがあり、どこか第二次大戦の際のドイツ戦車の砲塔を思い起こさせるものがあります。

伊東屋でこのペンを手にしたとき、「朝一番で使うシャープペンをこれにしたい」と思いましたが、なにせシャープペンとしては高価です。すでにグラフ1000とスマッシュQ1005-1もあるので、「おまえ、ちょっと買い過ぎなんとちゃうか?」という内なる声が聞こえてきました。「衝動買いは絶対だめ」と妻に言っている自分の立場も考え、「この商品、限定品で無くなるわけじゃないから、頭冷やして考えよう」といったん、その場を離れました。

しかし、家に戻っても、ロットリング600に対する恋は高まるばかり。3日ほど悩んだ末に、購入を決断した次第です。

毎朝、このペンを手にして、温かみのある金属の感触、重みのあるヘッドを感じながら書いていると、小さいながらも幸せを感じます。嫁にそのことを話したら呆れられましたが。

シャープペンとしては高価ですけれど、この小さな幸せを毎朝与えてくれる貢献度を考えれば安いと最近は思っています。これで一日10円の満足を得ると思えば、1年でモト取れますから。

ロットリング600でハッピーな毎朝を迎えている私ですが、AMAZONのカスタマーレビューを読んでいたら「落とすとペン先が折れるため、使用時に緊張感が漂う」と記載されている方がおられ、思わず笑ってしまいました。

まさにそのとおりです。これが、このシャープペンの欠点です。この兵器のように尖った先端部分、落としたらアウト! 万年筆以上に「落としたらアウト」の確率は高いです。逆に言うと、このスリルがロットリング600の醍醐味かもしれません。落としてペン先が曲がった時、鴨長明の「 ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」を肌でかんじ、しみじみするのもご一興かもしれません。

この緊張感が苦手な方は、ペン先を収納できるロットリング800、ラピッドプロという製品があるので(お値段は高くなります)、そちらがおすすめです。

*私の使っている芯は一般的な0.5mmです。

整理と整頓の違いは何でしょう?

熊谷正寿

「行動は習慣を作り、習慣は人格を作り、人格は運命を作る」、熊谷正寿さんの書かれた「一冊の手帳で夢は必ずかなう」という本にあった言葉です。

シェーファーのプレリュード、中字で書きました。同じ鉄ペンでも線を引くとき、ラミーのサファリが「シュ」という音の感覚なのに対して、シェーファーのプレリュードは「ザァー」という音でしょうか。プレリュードの方が摩擦を感じます。どっちも良いですね。「今、自分は書いている」という感触は、微妙な摩擦間が与えてくれる満足感のおかがでプレリュードの方があります。

インクは色彩雫の竹林です。このインク、嫁が欲しいと言って買ったはいいけれど、少しくすんだ黄緑みたいなかんじで、最初は失敗したかな、と思いました。しかし、何度か使っているうち、このポップすぎない、日本的に地味な黄緑で日記を書いていると癒される感じがしてきて、好きになりました。写真ではこの黄緑感をうまくお伝えできないのが残念です。竹林は少しボケた感じがあるので、仕事の場では相応しくないかもしれませんが、プライベートではおすすめできます。

さて、熊谷正寿さんの言葉の話に戻ります。

約束の時間を守る、きちんと挨拶をする、整頓を心がける。時間・挨拶・整頓の頭文字をとって「JAS」。今は無き、日本エアシステム社が(新入社員に、日本エアシステム社を知らない、と言われてショック受けました)JASと呼ばれていたので、自分にとっては覚えやすい標語です。

この「JAS」を手帳の初めの部分に書いて、自分の習慣として意識するようにしています。とはいっても、私は中途半端な人間なので、自己嫌悪に陥ることもしばしば。自分の習慣を意識することができるようになっただけでも進歩はしているじゃないか、と自分で自分を慰めています。

JASがきちんとできるようになれば、私の運命は変わるかも?

ところで、「整理、整頓」とよく言われますが、この違いは何でしょうか?

調べてみると、この二つの言葉の解釈は、人によって微妙に異なります。

私自身は次のように考えています。

違う言葉は「理」と「頓」なので、まず「理」から考えてみます。理という文字から私がイメージするのは「ごちゃごちゃした物や事柄を、分ける、分析すること。そのうえでロジックをつくること」です。

一方、頓という文字は、将棋であっという間に玉が詰まされることを「頓死」と言ったり、熱が上がって苦しい時に飲む即効性のある「頓服薬」という言葉があるように、スピードをイメージした言葉だと感じています。

そうしたことから私の定義は次のようになりました。

・整理 = 部屋や机が混乱した状態において、「これは不要か否か。残す物であるならば、どこに置くのか」と考えながら整えること。

・整頓 = 部屋や机が混乱した状態において、スピード重視で外見を整えること。

私は仕事を終えたら、とにかく整頓して帰ります。書類の順番とかは滅茶苦茶になりますが、それでも、翌日、会社に来ると、机の上は何も無い状態になっています。そうすると、仕事のスタートは凜とした気持ちになれます。

まとめますと「整頓が先、整理は後」という考え方です。本当は「整理が先、整頓が後」の方が効率は良いでしょう。しかし、それを実践できるのは自分を律することができる人に限られます。自分に甘い私は、まず整頓を実践することを心がけています。

私のJASのSが、整理は無く、整頓だけとなっているのはこのためです。
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