チリ代表の優勝は日本に希望をもたらした

チリ代表

前稿に続きまして、コパ・アメリカ(南米大陸選手権)の話を続けます。

この大会でアルゼンチンは準優勝でした。メッシはまたしても代表で栄冠を勝ち取れませんでした。チリとの決勝戦、PK戦で負けが決まった瞬間の、メッシの呆然とした表情は印象的でした。
呆然とするメッシ

準優勝とはいうものの、今大会のアルゼンチンは「目茶目茶」と言ってよいほど強かったです。FIFAのランキングで、アルゼンチンは現在、世界一位であるのもうなずけます。今のチームの力があれば、昨年のワールドカップで優勝していたであろうと私は思います。

アルゼンチン代表がどれほどすごいか、一例としてストライカーの得点ランキングをみてみましょう。

メッシ  : スペインリーグ 第二位
アグエロ : イングランドリーグ 第一位
テベス  : イタリアリーグ 第三位
イグアイン: イタリアリーグ 第四位

代表にはこの4人の他に、マンチェスターユナイテッドのディ・マリアというスーパースターがいます。

しかも、なんと贅沢なことか、イタリアリーグの得点王だったマウロ・イカルディは代表に召集されていません (素行に問題ありという監督の判断のようですが)。

このうち、試合に出れるのは3人しかいないのですから、いかに選手層が厚いか、おわかりいただけると思います。

アルゼンチン代表の話が長くなりましたが、今大会、そのアルゼンチンに勝って優勝したのはチリでした。

地元開催というアドバンテージはあったものの、チリは強かったです。

昨年のワードカップでも、チリはすばらしい戦いをしました。決勝トーナメントで地元開催のブラジルと戦い、0-0の同点で終わり、最後はPK戦で敗れました。

このことからわかりますとおり、昨年の段階ですでチリ代表は世界の強豪水準に達していましたから、今回のコパ・アメリカ優勝は番狂わせではありません。

今や強豪国となったチリ代表において、世界トップ水準の選手といえば、ユベントスのビダル (↓) と、
ビダル

アーセナルのアレクシス・サンチェス (↓) くらいです。
アレクシス サンチェス1

選手層という観点だけで考えれば、日本と大きな差があるとは思えません。しかし、それでも、世界のスーパースターが名を連ねるアルゼンチンと互角の勝負をしました。

チリ代表の平均身長は、昨年のワールドカップ時点で、大会参加32ヶ国中、最も低い175.9cm。日本代表は30位で178cmでしたから、ほぼ同レベル。ただし、筋力の差は感じました。下の写真は、アレクシス・サンチェスが、優勝の決まった瞬間、ユニフォームを脱ぎ捨てたところですが、御覧のとおり胸板の厚さがすごいです。チリの選手はこんなかんじの身体に鍛えていますので、少々のフィジカル・コンタクトでは弾き飛ばされないんですね。
アレクシス サンチェス2

「筋力アップはサッカーでは必ずしもプラスにならない」 という考え方もありますが、チリの戦いぶりを見ていると、日本代表選手の肉体改造は世界で勝ち上がるために必要なことだと感じます。

さて、チリ代表のゲームの運び方なんですけれど、これは日本の目指す姿に近いです。

前線からプレスをかけてボールを取りにいき、少ないタッチでゴールを狙いにいくというものです。

ホルヘ・サンパオリ監督の指揮のもと、このスタイルは徹底されており、チームとしての一体感はコパ・アメリカ出場チームの中でも図抜けたものがありました。

2015年7月9日時点、チリ代表はFIFAの世界ランクで11位です。日本は50位ですから、このGAPは大きいです。

しかし、平均身長も低く、超人的なスーパースターがいるわけでもないチリがここまで登り詰めることができたのです。日本もやってやれないことはないはずです。

チリの優勝は、「サッカーはチームの総合力で勝負するもの」 という、あたりまえのことを再認識させてくれたとともに、世界の弱小国の選手と国民に、希望をもたらしてくれたと思います。

ブラジルは2018年ワールドカップ予選で敗退する

2014年 ブラジル ドイツ戦

世界の老若男女に 「サッカーで一番強い国は?」 という質問をするとしたら、一番多い答えは 「ブラジル」 となるでしょう。

実際、ブラジルはワールドカップで最多となる5回の優勝を遂げていますし、第一回ワールドカップから連続出場を続けているのもブラジルだけです。

そのブラジルが地元開催となった昨年のワールドカップの準決勝で、ドイツに7-1と大敗した試合は記憶に新しいところです。

ワールドカップ後、ブラジル代表監督に就任したのはドゥンガでした。ドゥンガは1994年のワールドカップでブラジルが優勝したときの主将であり、その後、ジュビロ磐田でもプレーした人です。
ドゥンガ ジュビロ時代

ドゥンガの監督就任後、初めて挑んだ真剣勝負が7月4日まで行なわれたコパ・アメリカ(南米大陸選手権)でした。決勝は地元のチリがアルゼンチンをPKで下し、優勝することで幕を閉じました。
チリ優勝 コパアメリカ

このコパ・アメリカ、私は興味をもって多くの試合を観ておりました。

本大会に参加したのは12チーム。ブラジルは予選を2勝1敗で切り抜けたものの、決勝トーナメント一回戦となる準々決勝で、パラグアイと1-1と引き分けた後、PK戦であっさり敗退しました。

ブラジルのスーパースター、ネイマールは二試合前のコロンビア戦でレッドカードを受けたため、パラグアイ戦は欠場していました。
ネイマール 退場 コパアメリカ

このため、「ネイマールがいればブラジルはこんなもんじゃないでしょう。やっぱりブラジルはサッカー王国であることに変わりはないのでは」 という見方をする方もおられると思います。

しかし私は、たとえネイマールが出場し続けていたとしても、コパ・アメリカでブラジルは歯が立たなかったと見ています。それくらい、今回のブラジル代表は弱かった。というよりも、南米の他国が力をつけており、実力差が接近してしまったのです。

今大会で驚いたのは、各チームがブラジルに対して互角の勝負を挑んできたことです。これはブラジルがその輝かしいサッカーの歴史において、初めて味わった屈辱でしょう。

これまでのブラジル代表にはオーラがあり、対戦するチームは縮みあがっていました。南米でブラジルに対して互角の勝負を挑んでこられるのはアルゼンチンだけ。強国ウルグアイといえども、個人技で勝るブラジルに対してはカウンター狙い一本槍でした。

そんなブラジルが、ネイマールを擁していた予選の試合でも、強国となったコロンビアはもちろん、ペルーにまで真っ向勝負を挑まれたのです。ネイマールを欠いたパラグアイ戦は相手に押し込まれる展開となり、PK戦の結果は妥当なものでした。

仮にパラグアイとのPK戦で勝ったとしても、次の準決勝の相手は今や圧倒的な実力差がついてしまったアルゼンチンでしたので、勝つのはまず無理 (ちなみにパラグアイは6-1でアルゼンチンに敗れています)。準々決勝で敗退したことにより、ブラジルはアルゼンチンに大差で敗れるという汚名を浴びずに済みましたので、ある意味ではラッキーだったかもしれません。

さて、どうやらブラジルサッカー協会もコパ・アメリカの結果を深刻に受け止めているようで、ドゥンガ監督の更迭が噂されています。

有力な後任候補として名が挙がっているのは、レヴィー・クルピ。2007年から13年までセレッソ大阪の監督を務め、香川、清武、乾、柿谷といったプレーヤーを育てた方です。
レヴィー クルピ

ただ、これは私の直感なのですが、監督を変えたところでブラジル代表がそのオーラを取り戻すことは当面無いと思います。ひょっとしたら二度とないかもしれません。それくらい、ブラジル代表の弱体化は深刻です。

ドイツも10年ほど前は厳しい状況に追い込まれていました。しかし、ドイツは国民性のレベルにおいて、問題点を発見し解決する能力が高いため、危機を乗り越えて昨年のワールドカップで優勝を成し遂げることができました。

ブラジルにドイツと同じことは期待できない、私はそのように感じます。創造性に溢れ、観客を魅了するブラジルサッカーをもう見ることができないとしたら、サッカーファンとっては大変悲しいことです。

2018年のワールドカップで、南米の出場枠は4.5となっています。

アルゼンチンは当確。コロンビアとチリも90%以上の確率で予選突破するでしょう。スアレスやカバーニといったスーパースターを抱えるウルグアイも80%以上の確率で突破しそうです (ちなみに今回のコパ・アメリカでスアレスは欠場)。

そうすると残りは0.5枠です。これを残りの国で争うわけですが、南米予選は標高3,537mのボリビアや2,780mのエクアドルといったスタジアムでの試合が待ちかまえており、予選を勝ち抜くのはわれわれが想像する以上に困難です (下の写真はボリビアの首都、ラパスにあるエルナンド・シレス スタジアム)。
エルナンド・シレス スタジアム

このように考えると、ブラジルが2018年ワールドカップ予選を突破するのは厳しいのではないでしょうか。これまでワールドカップ出場はブラジルにとって 「指定席」 でしたが、次回出場できる確率としては60%程度ではないかと私はみています。

ブラジルが出ないワールドカップ? そんな信じられないような事態が起こるかもしれません。

江夏の21球、の謎を追う (続編)

江夏の言葉

カスタム912  (フォルカン) : ペン
色彩雫 (コスモス) : インク

江夏豊さんと話す機会があった。「プロが言ってはいけない言葉があります。俺は努力した。時間がない。この二つです」 「練習の場を離れても、頭から野球を離してはいけない。二十四時間、苦にすることなく野球のことを考え続ける。それがプロ、でしょう?」 「ご飯を食べている時も、左手の茶碗を持つ手は、フォークボールの握り手、カーブの握り手を繰り返していましたよ。」 「全ての時間を自分の技術向上に向けるんです。それが必ず、いざという時に役立っている」 一度たりとも、練習で想定しなかったケースは、現実の場面にはなかった。いつマウンドに上がっても、練習で疑似体験したシーンだった、と江夏投手は言うのだ。

佐藤芳直 : 勝ち組になれる仕事術

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1979年の日本シリーズ、広島 VS 近鉄の最終戦の9回裏、広島の守護神、江夏が絶対絶命のピンチに追い込まれたとき、衣笠の一言で江夏が立ち直った話を以前お伝えしました。

今回は、この試合のクライマックス、江夏がこの回に投じた19球目についてお伝えします。

場面は4対3、広島リードのまま9回裏の近鉄の攻撃。一死満塁でカウント1-0、バッターは一番の石綿。江夏が投じた19球目、石綿のスクイズは失敗。三塁ランナーの藤瀬は封殺され流れは一気に広島に戻り、そのまま広島の優勝となります。
江夏がスクイズを外す1

江夏がスクイズを外す2

実は、石綿に打順が巡ってきてこの19球目に至るまで、広島と近鉄、両ベンチをめぐる思惑が交錯していたことが試合後、明らかになっています。

まず、広島側はベンチもバッテリーも、石綿の様子を見て、「これはスクイズで来る」 と確信していました。この警戒心が19球目の明暗を分けたと言えるでしょう。

一方、近鉄側の当初方針はヒッティングでした。西本監督はインタビューで次のように答えています。

++++++++++++++++++++
「石綿の第一球を見送る姿勢がですね、『三つとも振れ!』と言うて送り出したバッターにしては非常に消極的な見送り方であったな、という。。。二球目のときに、もうひとつストライクをとられると、これはもういよいよ何もできないな、という。そういうことを咄嗟に考えてですね。それならば一番点のとりやすいスクイズで行こうかという。。。考えが急に変わったんですね。」
++++++++++++++++++++

広島バッテリーは 「近鉄はスクイズを仕掛けてくるだろうけれど、一球目からは来ないだろうから、ストライクを入れて少しでも有利なカウントにしておこう」 という思いだったでしょう。このため、一球目はカウントをとる甘いカーブが来るのですが、緊張していた石綿はすんなり見逃してしまいます。

この見逃し方を見るかぎり、仮に19球目のスクイズ失敗が無かったとしても石綿は外野フライすら打てなかったと私は思います。

石綿の次のバッターは左バッターの小川だったし、右の代打の切り札の佐々木はもう使ってしまっていましたから、やはり江夏攻略は難しい。したがって、スクイズ失敗が無かったとしても、どのみち広島優勝という結果に変わりは無かったであろうというのが私の結論です。 (近鉄ファンであった私には、そう思い込んで自らを慰めるしかないともいえます)

さて、問題の19球目、江夏はこの時、どんな球を投げようとしていたのでしょうか。

関係者のインタビューをふり返ってみると、この当時、投げる球種も、投げるコースも、全て江夏が判断していました。キャッチャーの水沼が知りえる情報は江夏が投げる球種のみでした。石綿への2球目、江夏はカーブを選択します。

初球でストライクをとれていたので、この2球目、江夏はカーブで石綿の膝元に落ちる球を投げようとしたのではないかと私は思います。そこであれば、仮にスクイズとなってもミスする確率が高いし、振ってきても空振りかファールが取れるからです。

ところが江夏が実際に投げたのは、ウエストボールのようなカーブでした。

今も論争となっているのは、江夏は瞬時に判断して、スクイズを外す球に変更したのか、それともボールがたまたまスッポ抜けたのか、という点です。

バッターの石綿はNHKの「スポーツドキュメント 江夏の21球」で次のように述べています。

++++++++++++++++++++

石綿 : 外されたとは思ってませんけどね。まあ、今も思ってませんけどね。ウエストボールっていったら、まっすぐに全然届かないところに放ると思うんです。で、この場合、充分、バットに届くし。だから普通に投げたボールがスッポ抜けてあそこに行ったのかなと。
インタビュアー : 江夏さんは石渡さんの動きがチラッと目に入ったと。投げる直前に。
石綿 : それで外せるもんですかね?(苦笑い)

++++++++++++++++++++

石綿以外にも、何人もの野球解説者が 「打者の動きをみて咄嗟にウエストボールへ変更することは困難。まして球種がカーブであれば不可能」 と述べています。

一方、江夏は 「石綿の動きをみてウエストボールに変えた」 と述べていますので、「スッポ抜け説」の人々からみれば江夏は都合のよい嘘を言っていることになります。どちらが正しいのでしょうか。

この場面をスローで再生してみると次のような流れであることがわかります。

1) まず石綿がバントの構えに動きだします
2) 江夏は石綿の動きを目にします
3) 続いてキャッチャーの水沼が腰を上げます
4) ボールが江夏の指を離れます

ここで謎なのが水沼の動きです。水沼は江夏が球を放つ前に腰を上げています。キャッチャーにとって一番怖いのはボールを後ろにそらすことですから、ウエストボールがバッテリーのサインで決まっていないかぎり、ボールがピッチャーの指を離れる前にキャッチャーが腰を上げることは通常無いはずです。腰を上げた後、右バッターの膝元に落ちるカーブがきたらキャッチャーは捕れませんから。

そのように考えると、江夏と水沼の間で起こった内容は、次の3つのいずれかということになります。

A) 水沼はウエストボールのサインで江夏がOKしたと考えており、サイン通りに腰をあげた。しかし江夏はカーブだと思っており、バッテリー間でサインの認識ミスが起こっていた。
B) 水沼は江夏がカーブを投げると知っていたが、3塁ランナーの動きをみて条件反射で腰を上げてしまった。 (本来、キャッチャーはそのような動きをしてはいけないにもかかわらず)
C) 水沼は江夏がカーブを投げると知っていたが、3塁ランナーの動きをみて 「自分が腰を上げれば江夏はそこに投げてくれる」 と信じて腰を上げた。

私はおそらくB)だったのではないか、と考えます。もしかしたらA)だったかもしれません。しかし、C)ではなかったでしょう。なぜならあの瞬間にC)まで思考が及ぶとは考えられないからです。NHKの 「スポーツドキュメント 江夏の21球」 で水沼は次のように述べています。

+++++++++++++++++++
水沼 :普通のピッチャーならカーブのサインで、ああいうところに外せんですよ。暴投になるか地面に叩きつけるか。普通のカーブの握りでボール持ってたらね。
+++++++++++++++++++

江夏の指からボールが離れた後に水沼が腰を上げたのなら、上のコメントは理解できます。しかし、水沼は先に腰を上げているわけですから、スクイズだと思って条件反射で腰を上げてしまった、というのが本当のところでしょう。

さて、江夏は、この19球目、意識的にボールを外したのでしょうか。それともスッポ抜けただけなのでしょうか。私は江夏の言葉どおり、意識的に外したと確信しています。

リリーフで活躍していた、この頃の江夏の投げる球は、その投げるボールだけで比べるとしたらプロの中では 「並よりやや上」 程度のものでした。日本記録となる、1シーズン401奪三振の頃のボールとは雲泥の差があります。

それでも、江夏は守護神として超一流の存在でした。並より上程度のボールで、それを可能のしていたのは、最初にお伝えした江夏のプロ魂にあったと思うのです。

24時間、野球のことを考え続けていた江夏には、ほんのわずかな打者の表情や仕草から相手が何を狙っているのかを読み取れる、超人的な能力が備わっていたはずです。

そうは言うものの、「一度たりとも、練習で想定しなかったケースは、現実の場面にはなかった。いつマウンドに上がっても、練習で疑似体験したシーンだった」 という江夏も、さすがに最終回、カーブの握りでスクイズを外すことまでは疑似体験していなかったでしょう。

江夏はインタビューで次のように述べています。「常識では考えられないですよ。カーブでウエストするなんて。前代未聞でしょう。(中略)だから自分でこんなことできたんのが不思議や言うんですね」

江夏の19球目は、鍛錬を重ねてきた江夏に対して、野球の神様が恵んでくれたご褒美だったのではないでしょうか。

条件反射で腰を上げてしまった水沼のミス、そして神が江夏に恵んでくれた奇跡、この二つが重なって、江夏のスクイズ外しは成功し、プロ野球史上に残る伝説となったのだと私は思っています。

白鳳、美しく勝つことへのこだわり

白鳳 プロフェッショナル

Twist (ペリカン)  - ペン
モスグリーン (ファーバーカステル) -  インク 

白鳳のこだわりのひとつ。それは土俵に上がるときサポーターやテーピングをしないことだ。
「プロである限りはサポーターをしない、きれいな体で土俵に上がっていうね。毎日同じ人が15日くるわけではないからね。その1日のために何時間もかけてくる人もいるわけですから。体のケアをするためだったら何でもするっていうね。それがプロとしての意識であり、お客様に対する感謝であり、常識であると思いますね」

NHK プロフェッショナル 「白鳳」
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私は子供の頃から、格闘技系はボクシングを除きあまり好きではありませんでした。なぜボクシングだけは興味あったかというと、当時、モハメッド・アリというスーパースターがいて、ボクシング界が異常な盛り上がりを見せていたからです。 (下の写真は 「キンシャサの奇跡」 と呼ばれる、1974年10月30日にザイールで行なわれたボクシング史上に残る伝説の試合。、アリがフォアマンを大逆転でノックダウンするシーン)
キンシャサの奇跡 アリ

スポーツの世界では、そのスポーツが最も面白かった絶頂期というものがあります。テニスだったら、ボルグ VS マッケンローの時代。ボクシングならアリの時代。いずれの競技もこうした絶頂期を越える面白い戦いは未だ出ていないと私は思います。

では相撲における絶頂期はいつだったのでしょう。私の生まれる前ですから想像になりますけれど、大鵬・柏戸の時代だったのかもしれません。 (写真の左が大鵬、右が柏戸)
大鵬・柏戸

そんなわけで、相撲というスポーツを私はあまり見ておらず、ゆえにアスリートとしての白鳳の何がすごいのかもよくわからないのですけれども、NHKの 「プロフェッショナル」 で放映された白鳳の特集は面白かったです。

私が感動したのは上述の箇所。相撲という厳しいプロ競技において、怪我を抱えない力士はいないでしょう。番組の最中、白鳳のトレーナーが明かしていましたけれど、実は白鳳も故障をいっぱい抱えているとのこと。

身体のことを考えれば、テーピングをして土俵に出た方が良いに決まっています。テーピングを外して土俵に上がるというのは、それだけ戦いでハンディを負うことになります。僅差で勝敗が決まるギリギリの世界ですから、通常の力士であれば勝利を優先するため、テーピングを外すことはしないでしょう。自分の生活、人生がかかっているのですから当然です。

しかし、白鳳は 「醜い姿で勝っても、それはプロではない。美しい姿で勝ってこそプロである」 という信念を持っているのです。その信念の根源は 「お客さんへの感謝」 とのこと。国技館まで足を運んでくれるファンに対してはもちろん、TVで応援してくれるファンに対して、力士は美しい姿で魅せねばならない。それが白鳳の 「美しく勝つ」というこだわり に結びついています。

「美しく勝つ」 という価値観は、日本人にはよく理解できるものだと思います。しかし、日本以外の国ではどうなのでしょうか。「美しかろうが醜かろうが、勝つことが一番大切」 という価値観が世界では主流のように思います。

そんな中、日本の国技である相撲の世界で、外国人の力士が 「美しく勝つ」 ということの大切さを理解し、実践してくれているというのは、ありがたいことです。白鳳こそ、真の横綱に相応しい存在だと思いました。
白鳳 不知火型

「鳳」 とは伝説上の大きな鳥とのこと。上の白鳳の姿は、まさに白い鳳、そのものではないでしょうか。その姿は強く、美しいです。


(追記)
日本人の根底に流れる思想、「美しく戦うこと」 については、以前、「藤原正彦教授とドゥンガ監督の価値観の差」 という稿でお伝えしたことがあります。ご参考になれば幸いです。

江夏の21球、の謎を追う

江夏の21球  山際淳司
パイロット  : カスタム743  (M)
ペリカン   : ロイヤルブルー

山際淳司   江夏の21球

その息づまる緊張のなかを、カープの一塁手、衣笠が江夏のところに近づいていったことを記憶にとどめている人は少ない。江夏が佐々木を2-1と追い込んだとき、衣笠がマウンドに近寄った。そこで衣笠はこういったのだ。
< オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな >
江夏がいう。
< あのひとことで救われたいう気持ちだったね。オレと同じように考えてくれる奴がおる。おれが打たれて、何であいつが辞めなきゃいかんのか、考えてみればバカバカしいことだけどね。でも、おれにはうれしかったし、胸のなかでもやもやっとしとったのがスーッとなくなった。そのひとことが心強かった。集中力がよみがえったいう感じだった >
====================

久々に山際淳司の 「江夏の21球」 を読み返してみました。これは 「スローカーブを、もう一球 」 という本に収録されています。

今回、じっくりと読んでみたとろ、上述の箇所でひとつの謎が浮かびあがりました。

そのお話をする前に、「江夏の21球」をご存知ない方もいらっしゃると思うので、簡単に背景をご説明します。

1979年の日本シリーズは、広島 VS 近鉄となりました。1979年に江川事件により小林 繁が巨人を去ったことで、私はアンチ巨人となり、同時になぜか近鉄ファンになりました。

近鉄のユニフォームがカッコ良かったのと、4番マニエルを中心とした破壊力ある打線が魅力満点だったためです。近鉄にとって、悲願の初日本一がかかったこのシリーズ、私も熱い思い込めてシリーズを追っていました。

この日本シリーズは最終第七戦までもつれます。

試合は4-3で広島がリードしたまま、9回裏に突入。無死満塁まで近鉄は攻めたてたものの、投手の江夏はこの大ピンチをしのいで零点におさえ、広島が優勝。江夏が9回裏に投じた21球は、球史に残る伝説となりました。

さて、冒頭にあげた箇所は、無死満塁、バッターは前年に首位打者をとったスラッガー、佐々木恭介という場面です。

実はこの場面を迎える前、無死一・三塁という状態になったところで、広島の古葉監督は、北別府と池谷の両投手をブルペンへ走らせ、投球練習を始めさせています。

「広島の守護神」 として監督から絶対的な信頼を得ていると信じていた江夏は、二人の投球練習をみて、「自分は監督から信頼されていない」 と感じ、大ショックを受けるのです。

古葉監督は、「延長にまでもつれたときに備えて他のピッチャーにも準備させよう」 というつもりだったとのことですが、江夏はそのように受け取りませんでした。

江夏の腸(はらわた)が煮えくり返るような思いを、たった一人、一塁手の衣笠は気づき、マウンドに近寄り、江夏に声をかけた。それが冒頭の文です。
江夏の21球  衣笠が語りかける場面

前置きが長くなりましたが、この文をよく読むと、おかしな箇所があります。

江夏のコメント、<オレと同じように考えてくれる奴がおる。おれが打たれて、何であいつが辞めなきゃいかんのか>。なぜ、唐突に 「あいつ(衣笠)が辞めなきゃいかんのか」 という文が入るのか? 前後の文脈と辻褄が合いません。

この謎が気になって、youtubeに出ている江夏の21球に関する番組をいくつか調べてみました。あるインタビューで、江夏はこう述べています。

++++++++++++++++++++
江夏 : ブルペンに二人出ていたったということで、かなりブン返していましたから。まあそれを衣笠君がいろいろ慰めてくれて。あらためて友達っていいなと思いました。彼の一言がものすごく自分を勇気付けてくれました。

インタビュアー: どういうひとことだったんですか?

江夏: まあ、はじめはあのう、「この場面はおまえしかいないんだから」で、いったんファーストベースに帰りかけて、またパッと振り返って、もう一言 「なんかおまえにもし(ものことが)あったら、オレも同じようにユニフォーム脱いでやるよ」。これ、嬉しいですよね。そこまで腹の気持ちをわかってくれるやつがね(いてくれて)。
++++++++++++++++++++

これで山際さんの文に出てくる、<おれが打たれて、何であいつが辞めなきゃいかんのか>、という謎の箇所の意味がつながりました。

山際さんは亡くなられたので、もう確かめる術はありませんが、おそらく編集の段階で、衣笠の 「なんかおまえにもし(ものことが)あったら、オレも同じようにユニフォーム脱いでやるよ」 という言葉が削られてしまったのだと推測します。

いずれにせよ、集中力が途絶えかけていた江夏に百倍の勇気を与えた衣笠の一言は 「オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな」 ではなくて、山際さんの文には出てていない 「おまえにもし(ものことが)あったら、オレも同じようにユニフォーム脱いでやるよ」 であったことは、間違いないでしょう。

この衣笠の一言が無ければ、ヤケクソ状態だった江夏は立ち直ることができなかったでしょうから、近鉄優勝でこのシリーズは幕を閉じたことでしょう。

さて、一方、この、衣笠が江夏に声をかける場面に関し、衣笠が何を語ったのか、彼自身のインタビューも見ることができます。

++++++++++++++++++++
衣笠: 選手として何をすべきか、ということだけですね。だから江夏に何を言うかってっても要するにそのことだけですね。要するにぼくらは選手なんだと。他のことは一切関係ない。この場面をどうおまえが投げておさえるか。おまえ一人の力でおさえなければしかたない。
++++++++++++++++++++

また別なインタビューでは次のように述べています。

++++++++++++++++++++
衣笠: ブルペンはブルペンでいいじゃないか。とにかく、ここのケースで今ボールを持っているのはおまえだから。おまえが投げなきゃ、始まらないじゃないか。一切外を見ないで、キャッチャーとバッターだけみて勝負せえよ。おまえは別に他のこと考える必要ない。とにかく、おまえはおまえなんだから、おまえらしさをここで出して、打たれるならスッキリ打たれてしまえ。中途半端に投げて、中途半端このケース終わって負けるってことは許されなかったですね。
++++++++++++++++++++

これらを見ますと、「なんかおまえにもし(ものことが)あったら、オレも同じようにユニフォーム脱いでやるよ」、などという言葉は一切出てきません。

江夏の言うことと、衣笠の言うことには食い違いがあるのです。

ここで考えられるのは次のいずれかです。

A) 衣笠は 「ユニフォーム脱いでやるよ」 などと言っていないが、江夏はそのように受け取った。

B) 衣笠は 「ユニフォーム脱いでやるよ」 と言ったけれども、それを忘れてしまった、もしくは意図的にその事実を述べていない。

私は、A)だと思うのです。つまり、大声援で声もよく聞こえない、しかも切羽詰った極限の状況において、江夏は衣笠の幻の言葉を聞いた、ということです。

衣笠は連続試合出場の記録が物語るとおり、誠実な人だと思います。「ユニフォーム脱いでやるよ」 発言は、当然、衣笠の耳に入っているでしょう。本当に衣笠がそう言ったのなら、江夏の試合後のコメントを見て思い出すはずです。それでも、インタビューで衣笠がその事を述べていないことから、私はB)の可能性は限りなく低いと考えます。

長くなりましたが、「”江夏の21球”は、江夏の勘違によって起こった奇跡」 というのが私の考えです。

このことは何を物語るのでしょうか。

人間はコトバという便利な道具を持ったために、相手の意図するところを100%理解していると思い込み、自分の意図するところが100%伝わると思いがちです。

しかしそれは錯覚であり、現実はどれほど言葉を尽くしても、互いの意図するところはあまり伝わらない、という前提で考えておくべきだと私は思うのです。例えば、「赤」 という言葉を読んで思い浮かぶ色は、人それぞれで微妙に異なりますよね。このことからわかるように、言葉は、それ自体が不完全な道具なのです。

すなわち、我々の日常生活において、程度の差こそあれ、コミュニケーションのミスは常に起こっているということです。

それは江夏のケースのように美談となる場合も稀にありますが、多くはネガティブな方向に作用しています。

「なんで自分が言ったことを相手は理解してくれないんだ?」 ということが続くことによって、ストレスは雪だるま式に増えてゆきますね。

そんな時、私は 「人と人とが互いに理解しあえるなんてことは無い」 という前提を思い出すように心がけています。この言葉だけをみると、寂しく、孤独な気持ちになってしまいそうですが、だからこそ、人間にとって「愛」 が決定的に重要だと思うのです。

「あれ、自分の言いたかったことが相手に伝わっていないな」 とわかったとき、相手を攻撃するのではなく、「そもそもパーフェクトなコミュニケーションなんて幻想にすぎないから仕方がない。けれでも、今回は自分の伝え方に問題があったのかもしれないな」 と相手本位に考えること。それが「愛」ではないでしょうか。

まとめますと、「人と人との間で、完全なコミュニケーションは成立しない」 という人間社会の宿命がある中で、人間としての器を高めるには二つの方法があると私は考えています。

ひとつは、自分のコミュニケーション能力を高めること。もうひとつは、自分の愛の力を高めること。

この二つの方法から目をそむけていると、人間としての器も小さくなり、本当に寂しく、孤独な人生に向かってまっしぐら、ということになってしまいますね。

偉そうなこと記しましたが、実際にコミュニケーションミスが起こると、私は頭に血が登るタイプです。ただ、年齢を重ねるとともに、少しずつコミュニケーションの精度も向上し、相手への愛を持てる機会は増えてきているようにも感じています。

妻に聞いたら 「全然そんなことない。器が小さい!」 と言われましたけど。。。  妻への愛を高めてがんばります!
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