モデルルームを見て即決する人

モデルルームを見て即決する人
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不動産の価値は、自分自身が住む価値と、よい条件で人に貸せる価値、そして、よい条件で人に売れる価値の3つがあり、それぞれの立場によって価値の重要さは同じではないので、自分に関係が無い価値にはあまり関心がない場合が多いですが、直ちに興味がなくても、不動産を購入する時には、この「3つの価値」を意識しておくと、失敗する可能性が低くなります。

後藤一仁 : 東京で家を買うなら
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すっかりブログ更新もご無沙汰してしまいました。今回はその顛末を、、、

昨年の終盤、私は近い将来に起こりうる実家の建替えについて考えることに熱中していました。録画していた「建もの探訪」のDVDを徹底的に見る日々。私につきあって建もの探訪を連続して見ることになった娘は、同番組のテーマソングが (小田和正さんの“Between the word & the heart –言葉と心–“) 「パパのせいで頭にこびり付いて離れない!」 とクレームしてくる有様でした。

そんな中、家からちょっと離れたところへジョギングしていたところ、マンション建設の現場に出くわしました。前から「こんなところに住めたらいいな」と思っていたところだったので、家に帰ってから、これから売り出されるそのマンションのお値段を調べてみたのです。そうしたら思っていたより安かったんですね。

「あれ、このお値段なら、今住んでいるマンションを売って、住み替えてもいいかな」と感じ、インターネットで「モデルルーム訪問の御予約」の箇所をポチることに。

モデルルーム
(写真のモデルルームは参考例です)

私、これまで不動産は何度か購入していますが、いずれも中古でした。新築を購入した経験はありません。「中古の目利き」としての自負はあるものの、新築に関しては素人同然ですから、「セールスマンのトークには騙されまい」と心を鬼して、妻と一緒にモデルルームへ行くことにしました。

マンションのモデルルーム訪問は初体験でしたが、ありゃええもんですね。

ファーストクラス
JALやANAのファーストクラスも真っ青のVIP気分を味わうことができました。たしかにマンションに比べれば、ファーストクラスのお値段なんてたいしたことないわけですから、当然といえば当然なんですけど。

それでもって登場してきたセールスマンがまた感じの良い方なんです。「その手に乗るもんか、オレは騙されんぞ」と警戒心を緩めず話を聞いていましたが、そのうち、「う~ん、この物件、やっぱり買いかも。。。」と、コンパスは180度方向転換することに。

結局、その場では申し込みをせず、一旦、家に戻ることにしました。頭を冷やして数時間考えましたが、それでも決意は変わらず、「やっぱり買おう!」と決めることに。嫁は呆れていましたけど。

そして翌日、再びモデルルームを訪問し、正式に申し込みをしました。「申し込み」といっても、実際には抽選がありますので、購入契約は当選が確定してからということになります。ただ、現在は高値警戒感もあり、あまり申し込んでいる方もいないようですから、抽選無しで決まる確率が高そうです。

購入を決意したものの、やはり高い買い物ですから不安はあります。先々週には 「2016年、首都圏の新築マンション発売戸数は、バブル崩壊後の1992年以来24年ぶりの低水準となった」 なんてニュースが発表されて焦りました。慌ててマンション業界の市況動向を分析したりする始末。そんなわけでブログ更新どころではなかったのです。

自分なりに分析した結果、東京のマンション価格は底堅いという結論に至りました。その主な理由は次のとおりです (素人の独断と偏見に基づく考えであることをお含みおきください)。

・ 実業家のトランプ氏が大統領となり、アメリカは好景気が続くであろう
・ アメリカの景気が悪化しないかぎり、世界全体も景気は悪くならないであろう (とりわけ東京はオリンピック景気というプラス要因も有る)
・ 日銀は金利を当面、上げられないであろう
・ アジア系を中心に、外国人による東京の不動産購入は今後も続くであろう (もし私が中国人で金持ちだったら、東京に投資します)

今回、購入を考えているマンションの引き渡しは2年後です。私の場合、まずは銀行からローンを受けて代金の支払いを終え、その後に現在住んでいるマンションを売却することになります。

現在のマンション市況は底値圏からだいぶ上げていますし、今回購入予定のマンションも割安とは思いません。しかし、私が住んでいるマンションの中古価格も上がっているので、不動産市況が急落しないかぎり、買い替え計画で失敗することはないと考えています。

とはいえ、契約締結後、この2年の間に中古市況が急落したら大損です。そのリスクは腹をくくって勝負ということになります。

私のマンション購入話はさておいて、数ある候補の中からひとつの家を買うとき、人は「その家」を選ぶなんらかの根拠があります。「なんとなく買っちゃった」ということはないはずです。

上述の後藤一仁さんは、「不動産の価値は、自分自身が住む価値と、よい条件で人に貸せる価値、そして、よい条件で人に売れる価値の3つがある」と述べておられます。

別な言葉で言うならば、「使用価値(通勤や通学に便利だとか、実家に近いとか、学区が良いとか、良い公園がある等、金銭に変換できないリターン)」と「資産価値(投資した額に対するリターン)」と言えます。

この二つの価値の比率をどう案分するかで、その人の個性が出ますね。

例えば「使用価値なんて気にしない。不動産は投資である。資産価値が100%。自分の住み心地を犠牲にしてでも、リターンを狙いたい」という人は、どこか冷たいかんじがします。
金融資産

反対に「私の場合、使用価値が100%」なんていう方は温かみがあるように思えてしまいます。「建もの探訪」に登場するような、自分好みの注文住宅を作る方は後者の側に属すると言えるでしょう。

マンションは一戸建てに比べて金融資産としての性格が強いですから、マンション購入を希望する方の場合、資産価値を全然考えないというケースはほとんど無いと思います。

私の場合、現在住んでいるマンションを決める際には使用価値の方を重視しました。使用価値が70%、資産価値が30%というところです。そんなわけで、今の家はとても気に入っています。

その一方で、以前にもブログに書きましたが、私は京都や滋賀など、日本には住みたい街がいくつもあります。
京都

滋賀

なにせ日本では東京以外に住んだ経験がないので、それで一生を終えるのはあまりにもったいない話だと思うのです。

― 家を賃貸に出して収入を得ながら、いろいろな街に家を貸りて住んでみる

そんな人生ができれば、と願うのですが、今の家は「よい条件で人に貸せる」という価値においては、少し弱いところがあります。

「マンションを買い替えてもいいな」と思うようになったのはそんな背景がありまして、今回は特に、「よい条件で人に貸せる価値」を重視しています。総合的にみて、使用価値40%、資産価値60%くらいでしょうか。

「持ち家は永住するもの」という発想から離れ、人生の設計図をベースに、賃貸や売買を織り交ぜながら、住む家を自在に軌道修正してゆく。変化が激化するこれからの時代、そんな自由な発想が幸福な人生をおくるための鍵になるのかもしれません。

真剣師、小池重明の魔手、5八歩

小池重明の5八歩
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Ink : Pilot – Cosmos

☗5八歩。観戦記者の今福栄氏は 「念力の歩打ち」 と書いたが、受けるにはこれしかない。
私の☗5八歩をみて、
「フフ、やっぱりね」
森棋聖の顔がユルンだ。そして指された手は、☖5八同龍。
これが敗着であった。
正解は☖6六馬で、これが詰めろになっている。

小池重明 自戦記 (「将棋ジャーナル」 1991年3月号)
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「積ん読」 という言葉があります。「いつか読もう」 と買っておいたけれど、読まないまま本が積まれている状態のこと。官能作家、団 鬼六が著した「真剣師 小池重明」はそんな本でした。

真剣師 小池重明

最近、大阪南部出身の方と話す機会があり、通天閣の近くの将棋道場で平日の昼間から将棋に打ち込むオッサンたちの話でもりあがりました。それがきっかけとなって、「積ん読」 から、「真剣師 小池重明」 を手にとってみたのです。

読んでみたらメチャ面白くて、一気に読んでしまいました。

私が将棋に熱中していた子供の頃、アマチュア将棋名人戦で小池重明さんの名を見た記憶が残っています。私は頭の中にはNHKのTV放映のイメージが残っており、今あらためて、それがいつのことだったかを調べてみると、小池さんがアマチュア将棋名人戦の二連覇を達成した1981年の第35回大会であろう思われます。
小池重明 アマチュア名人

凄まじく、また、泥くさい将棋でしたが、アマチュアにはわかりやすい、手に汗にぎる勝負でした。

その後、小池さんの名を目にする機会は減り、そして突然、1992年、新聞で小池さんが44歳という若さで逝去された記事を目にし、「あの小池さんが亡くなられたのか」 と思ったことを覚えています。

今回、「真剣師 小池重明」 を読んでみて、伝説のアマチュア棋士、小池重明さんは、「飲む、打つ、買う」 に溺れ、人間としてはデタラメな破綻者だったことを知りました。しかし、将棋だけは天から授かった才能を持っており、その波乱に満ちた一生は、「小説よりも奇なり」 を地でゆくものであったようです。

複雑な家庭環境に育ち、中学生の頃、たいして将棋が強いわけでもない、義理の父親から教わった将棋が、小池さんのスタートでした。プロであれ、アマであれ、将棋の世界でトップに到達する人と比べ、このスタートは異例の遅さです。

やがて小池さんは将棋にのめり込み、高校を中退、アマチュアでありながら、賭け将棋で生計をたてる (というより食つなぐ)、真剣師の道を歩むようになり、アマチュアで頂点を極めます。特例でプロになるチャンスもありましたが、酒と (将棋以外の) 博打に溺れ、それも逃してしまいました。最後はサラ金に追われ、愛人にも逃げられ、文字通り野垂れ死に。

小池さんは将棋の勉強を全然しない人でした。部屋に将棋盤も無かったそうです。もっぱら実践で力を付けるのみ。将棋の序盤は勉強で差がつきます。このため、小池さんは序盤が弱く劣勢に立つのですが、終盤に逆転で勝つというスタイルを持っていました。このハラハラドキドキの逆転劇が、小池将棋の魅力なんですよね。

小池さんはアマチュアでありながら、プロを次々と打ち破り、「プロ殺し」 と称されました。

そのハイライトは、1982年に行われた、森棋聖を平手戦 (ハンディ無し) で打ち負かした試合です。

この年、小池さんはアマ名人を連覇した翌年であり、まさに最盛期。

とはいえ、森雞二九段も、当時、名人位、十段位に次ぐ格だった棋聖位をとっており、名実ともにプロのトップクラスでした。 (下の写真は若かりし日の森九段)
森雞二

いくら小池さんがアマ最強とはいえ、普通に考えればプロのトップクラスに勝つことはありえない話です。このため、小池さんの勝利は、プロ棋界にも大きな衝撃を与えました。

この試合、先手の小池さんによる無謀な攻めが失敗し、小池さんが5八歩と打った図の局面では、先手がほぼ負けの状況です。
小池重明 森雞二

冒頭に記しました小池さんの自戦記では次の言葉が残されています。

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☗5八歩。観戦記者の今福栄氏は 「念力の歩打ち」 と書いたが、受けるにはこれしかない。
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この言葉をみるかぎり、小池さんが5八歩と打ったときの心境は 「防御のためにやむをえず」 というようにしか解せません。

この5八歩に対して、後手の森棋聖は、5八龍という、信じられないような大チョンボを犯してしまいました。6六馬が正着で、プロの戦いならこれで先手は投了するでしょう。

この局面、森九段は、小池さんの死後、1997年2月7日に放映された 「驚きももの木20世紀」 で次のように述べています。

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「これが小池マジックというか、妖しいアレなんですよね。 (略) 私は(6六馬で)銀を取っても、(5八龍で)この歩をとっても、勝ちは勝ちと思っちゃたんですよね。この時はね。たしかに 『(小池は)こんなムダな手をやって(やりやがって)!』 っていう思いはありましたし、ここで私に(5八)同竜と取らせたことはね、私をカチンとさせたという、彼の、アレですよ、テクニックですよ。彼の魔力ですよ」
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森九段は、「5八歩は、小池の策略(ハメ手)だった」 と述べているわけです。小池さんの自戦記とは、大きなギャップを感じます。

いったい、どちらが本当だったのでしょうか?

私は森九段の言葉が正しく、小池さんはウソを記したと考えています。ホンネは、「森さん、たのむ、引っかかってくれ!」 と祈って5八歩と打ったことでしょう。

小池さんがこの自戦記を著した頃、彼はすでに肝臓を病んでいましたが、まだ自分が翌年死ぬとは夢にも思っていなかったはず。「先手5八歩」 はギャンブルとしての小池将棋の神髄を示す手ですから、今後の対局をにらんで、彼はそのタネを明かすことはできなかったのです。

森九段は、「驚きももの木20世紀」 の最後で次のように述べています。

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「今考えてみれば、まさに言い訳はできないです。ですから、彼に私のA級八段(の地位)を差しあげてもよかったんですけどね。いや、ただあの、もちろん言い訳はできないですけど、これから100回やれば、100回、私が勝つでしょうね」
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将棋をご存知ない一般の方が、この森九段の言葉を聞くと、ただの負け惜しみにしか聞こえないかもしれません。しかし、本当のところは、森九段が、「“(敵を欺く)ギャンブルの将棋” のマジックのタネはもうわかったので、今後、負けることはありえない」 ということを意味しています。

「☗5八歩」 というたったひとつの記号に、これだけのドラマ、関係者の思いが凝縮されています。小池重明さんは、プロ将棋とはまた別な、ギャンブル将棋というジャンルにおいて、その技を芸術の域まで高めた人と言えるでしょう。

中学受験の経験は一生の財産

勉強なんてカンタンだ 魅力的な人間になる第一歩
Pen : Pelikan - M800 (M)
Ink : Pelikan - Brown

勉強って、なんでしなきゃいけないんだったっけ? 
なんで?
じつは、勉強をするというのは、おもしろい人間になるっていうことなんだ。(中略)
国語、算数、理科、社会・・・ 勉強して「知っていること」を増やしていくことは、魅力的な人間になる第一歩ってことなんだね。

齋藤 孝 : 勉強なんてカンタンだ!
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今年に入り、ブログ更新のペースが落ちてしまいました。書きたいことはたくさんあるのですが、睡眠を削ってまでがんばると、すぐに体調を崩すタイプなので無理せずにいます。

このようになってしまった理由は、仕事で問題が多発したということもあるのですが、なんといっても一人娘の中学受験勉強のフォローに取られる時間が大きいです。

今年の1月、「この子も4月から小学4年生か。そろそろ中学受験するか否か、決めないといけないなあ」 と考え、受験について調べ始めました。

真面目な親御さんなら、もっと早いうちからそんなこと決めているのでしょうが、今思えば我が家は呑気なものでありました。

さて、「まずはどこを志望校にするか考えよう」 と、偏差値ランキングを調べるところからスタートしました。
中学受験 偏差値ランキング

私は小学校から高校まで一貫校で育ったので、中学受験の世界はよく知りません。それでも、有名校の名前を聞いたことはあったし、各校の偏差値のイメージは持っていました。

実際にランキングを調べてみると、私のイメージとからは大幅に変わっていることがことがわかり、びっくり仰天しました。そりゃそうですよね、私の中高の頃といったら30年以上も前なのですから。

かつての有名校の凋落。逆に、聞いたこともない学校が、今や「難関校」になっている!

塾の勢力図も大きく変わりましたね。
塾ランキング

私が子供の頃は、中学受験といえば四谷大塚を置いて他にありませんでした。
四谷大塚

小学生の頃、四谷大塚へ通っている子に、算数のテストの問題を見せてもらいましたが、あまりに難しすぎてショックを受けたことを覚えています。

それが今はSAPIXが他を圧倒する時代になってしまいました。
SAPIX 実績

「SAPIXなんて聞いたこともないな」と思って調べてみたら、1989年設立だそうで、私が知らないのも当然です。

「テキトーに塾にでも入れて、そこそこの学校へ入れておけばよいかと思ったけれど、これは親がしっかり研究しないとダメだ」 と痛感しました。

私は根が凝り性なものですから、そこから先は趣味が 「娘の中学受験対策」 の状態になっております。ホンモノの親バカですね。

しかし、小学3~4年生の子供が自ら 「わたし、受験して○○中学へ行きたい!」 などと言うケースはまず無いわけですから、中学受験は親がバカになってでも主導していかねば、うまく行かないものだと思います。

そんなわけで、受験向けの塾に娘を入れてまずはスタートしてみたわけですが、テキストを見たらこれがまた難しいのです。算数では4年生の上期でいきなり、私が算数アレルギーとなる原因になった 「植木算」 やら 「つるかめ算」 が出てきます。
つるかめ算

各チャプター、基礎問題から始まって、最後は受験レベルの問題まで解いていかねばなりません。

当然、娘は予習で塾の教科書を開いても全然わからないですから、「わかんない。やだ。やめる!」 と言い出します。そこでやむをえず、「何、どこがわからないの。パパが教えてあげるから一緒にやろう」 といって、かかりっきりになる始末。

それからは娘も私も生活サイクルが一変してしまいました。学校の宿題、毎日の計算トレーニング、漢字トレーニング、塾の予習・復習、レッスン、テスト。。。。。 娘もかわいそうですが、休む暇もありません。最近、娘はトイレが唯一の息抜き場みたいになってしまい、なにかあるとすぐにトイレへ向かうのが習慣になってしまいました。
トイレに逃げ込む

こんなかんじで、志望校合格 (*娘の場合、まだ志望校は漠然としたものですが) を目的としてスタートした受験勉強なんですけれど、娘に付いて一緒に勉強してゆくうちに、気づいたことがあります。

「この受験勉強をしっかりやれば、たとえ志望校に入れなかったとしても、この経験は娘にとって一生の財産になる」 ということです。

中学受験で勉強する内容は、かなり高度なものです。難関中の国語の問題などは、普通に大人が読む本から出題されてきます。おそらく、難関中に合格する子であれば、同じタイミングで大学受験しても、偏差値のそれほど高くないところであれば合格点を取れてしまうでしょう。

したがって、「中学受験をキッチリやった子は、社会で生き抜くために必要な基礎知識をすでに身に着けている」 と言えると、私は思うのです。

上述の齋藤 孝教授の言葉、「国語、算数、理科、社会・・・ 勉強して 『知っていること』 を増やしていくことは、魅力的な人間になる第一歩ってことなんだね」 にありますとおり、「知っていること」 を子供のうちに増やすことができた子は、人生をより深く楽しむことができる可能性が高いといえるでしょう。

それは 「一流校へ行って、よい就職ができる人生」 という上っ面の意味ではなく、「豊かな好奇心を持ち、この世を面白いと感じられる人生」 という本質的な意味においてです。

そのことがわかってから、私にとって、娘の志望校合格は 「目的」 ではなく 「手段」 になりました。目的はあくまでも、「この子が、真に面白い人生をすごすことができるようにするための基礎固め」 です。

娘は、4年生にして 「私、受験に落ちたらどうしよう、、、」 などと言うことがあるのですが、私は 「心配しなくていい。落ちても全然問題ないよ。こうして勉強すること、それ自体が大切なんだ。齋藤 孝先生もそう言っているでしょう」 と伝えています。

私もこんな綺麗ごとを言っていますが、現実の世界では、「勉強嫌い! 受験やらない!」 と泣き叫ぶ娘を叱りつける、格闘の日々が続いています。いつの日か、そんな日々を娘が感謝してくれる日が訪れることを信じながら。。。

家政婦のミタをミタ

家政婦のミタ

家政婦のミタをミタ
Pen : Pilot - Custom 92 (M)
Ink : Pilot - Murasakishikibu

自己管理の苦手ななまけものにとって、「常習性」という言葉は非常に大事なキーワードになります。たとえば、私はテレビゲームをやりません。興味がないのではありません。やり始めると時間を忘れて没頭してしまう、堕落型の自分がわかっているからこそ、手を出さないのです。最近人気のドラマも見ないようにしていますし、何十巻もある漫画も、内容に関係なく、「長い」という時点で避けるようにしています。

本田直之 : なまけもののあなたがうまくいく57の法則

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自分はつくづくナマケモノだと思います。子供の頃から今に至るまで、その性向は変わりません。

小学生の頃のソロバンの授業でも、「こんなものは将来、計算機でやることだから不要」 と考えて一切やらず、テストの時は前の席のソロバンが得意な友人を拝み倒してカンニングさせてもらうという、今考えるとトンデモナイ子供でした。

親からは 「漢字を書けないと苦労するよ」、そして 「字が汚いから直しなさい」 と繰り返し注意されてきましたが、「将来はコンピューターで文字を書くようになるから不要だ」 と屁理屈言って譲りませんでした。当然ながら大学受験のときは、漢字の部分は毎回0点で、ハンディを負うことになりました。ただし、字に関しては、「やっぱり下手な字はカッコ悪い」 と考えるようになり、ようやく最近になって努力するようになりましたが。

そんな私にとって、本田直之さんの 「なまけもののあなたがうまくいく57の法則」 という本は、共感する部分が数多くありました。
なまけもののあなたがうまくいく57の法則

なかでも、本を読んであらためて気付いたのは、自分は連続ドラマというものをほとんど観てこなかった、ということです。子供の頃から無意識のうちに、「自分はナマケモノなのだから、連続ドラマを封印せねば、どこまでも堕ちてゆくばかりだ」 と感じていたのでしょう。

「ガンダム」 からはじまり、
ガンダム 元祖

「3年B組金八先生」、「スクールウォーズ」、「東京ラブストーリー」、「ラブジェネレーション」、、、NHKの大河ドラマや連続テレビ小説も、もちろん観たことはありません。

友人との会話についていけず、寂しい思いをしましたが、それも 「ナマケモノの代償だから」 と諦めました。

そんな私でしたが、先日、「家政婦のミタ」 を全話、観てしまったのです。

きっかけはヨーロッパ出張でした。機内で映画を観ようとしたところ、興味をひく映画がありませんでした。

そこで目に止まったのが 「家政婦のミタ」 でした。どんな内容かは知らずとも、大ヒットしたドラマであることは知っていました。

第一話だけを暇つぶしに観るつもりだったのです。しかし、「ミタさんって何者? 彼女の隠された過去は何?」 と引きずり込まれ、止められなくなってしまいました。時差もあるから疲れをとるために眠らねばならないのに、それも忘れてドラマに熱中するばかり。

往路のフライトでは全話を見切れず、復路のフライトでようやく最終話まで到達することができました。全然寝れなかったため、出張後は体調を回復するのに時間を要してしまいました。

正直に言いますと、最後の数話は、もう少しうまいまとめ方があったのではないかと思います。それでも、高視聴率をとった理由がよくわかる、面白いドラマでした。「ドラマの脚本家は、こうやって視聴者を毎週引きつけるのか」 ということがわかった気がします。

連続ドラマが面白いものだということはわかりましたが、それでもおそらく今後、連続ドラマを観ることはないだろうなあ、と思います。

ドラマの場合、一度引き込まれてしまうと、自分の性格では途中で止められません。今回の 「家政婦のミタ」 でそれがよくわかりました。

家政婦のミタは全11話。コマーシャルを除いて1話あたり45分としても、計500分を費やしたことになります。

計500分のドラマを1年で10本観たら、5千分。10年で5万分。そう考えると代償は大きいです。

自分は 「ドラマを観て時間を消費する代わりに、残りの時間は有効に使おう」 なんて、立派な切り替えができる人間ではありません。根っからのナマケモノであるがゆえに、残念ながら 「ドラマは足を踏み入れてはならない禁断の世界」 と自らを律する他、ないのです。

将来、老人ホームに入ることになって、まわりが 「ラブジェネレーションの頃のキムタク、カッコ良かった!」
キムタク ラブジェネ

なんて盛り上がっても、自分は浮いているのでしょうねえ。「家政婦のミタ、くらいは見たよ」 とでも言ってがんばりますか。

実力とは曖昧なものであるけれど

義理と人情   みのもんた
Pen : Schaeffer - Prelude (M)
Ink : Sailor - Miruai

僕は実力主義を否定しません。ただ、「実力」 という1つの軸で評価するのはいかがなものかと思うのです。というのも、人間の持つ 「実力」 にはいろいろな実力があると思うのです。宴会の実力、営業マンとしての実力、経理としての実力。それだけではありません。「実力」 の種類は地方によっても違います。福岡で評価される 「実力」 と鹿児島で評価されるそれは種類が違う。つまり、実力には色々な方向性があるし、評価軸も曖昧なので、一口には語れません。それを単一的に評価するなんて、土台無理な話なのです。そして、社員それぞれの 「実力」 を見極めて適材適所に配置するのは、経営者である管理者の義務であり責任です。

みのもんた : 義理と人情
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私事ですが、2016年は、年初からやたら忙しい日が続いています。海外出張が多いため、1~3月のマイレージの累計だけで64,000マイルにもなってしまいました。時差で頭が朦朧とする日が続きます。また4月末から5月初旬、そして6月中旬と長距離出張が待っており、気が重いです。

さて、新年度をむかえて、人事異動花盛りですね。自分の会社の人事異動をみていると、「この人事は順当だな」 と思うケースがある反面、「えっ、この人が昇格?」、「あれ、あの人が降格人事?」 と意外なケースも多々あり。まあ、これはどの会社においても同じでしょう。

組織においては、人が人を評価せねばならないわけですが、学校の試験の成績ではありませんから、評価に明確な基準はありません。“みのもんた” さんがおっしゃるとおり、「実力には色々な方向性があるし、評価軸も曖昧なので、一口には語れません。それを単一的に評価するなんて、土台無理な話なのです」 というのが動かしようのない事実です。

たしかに、自分の受ける評価に対して納得できないとき、誰もが頭に来ますよね。「なんだ、あのバカ上司」 って。私もそうでした。

しかし、私も歳を重ね、人として成長できるかどうかは、そういう時に自分の心を整理できるかどうかにかかっているのかもしれない、と最近、思うようになりました。

「芸術を創る脳」という本で、日本画家の千住 博さんが次のように述べておられます。
千住 博さん

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実は、芸術はとても単純なことをやっているのです。「私はこう思う。皆さん、どうですか」と問いかけているのです。(略)例えば、シェフが料理を作る。「私は、これが美味しいと思います。いかがでしょうか」 と問いかけるのが料理です。それに対して、「本当に美味しい」 とか、「ちょっと塩辛いな」 とか、多様性に満ちた感想が返ってくる。褒められば芸術で、貶(けな)されれば芸術ではない、というものではありません。感想の多様性を、芸術家のわれわれも理解しなければなりません。「私の作品が分からないとは何ごとだ」ではなくて、「分からない」 という感想も大切なメッセージとして受け取らなければ。
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これをビジネスの世界に置き換えるならば、「“私の評価が低いとは何ごとか” ではなくて、上司からの低い評価も大切なメッセージとして受け取らなければ」 ということだと思うのです。

芸術家が曖昧な観念である 「美」 を追求せねばならないのと同様、ビジネスマンは曖昧な観念である 「実力」 を追求せねばなりません。

それにもかかわらず、上司からの評価が低いとき、「ビジネスマンの実力なんて、曖昧なものだから突き詰めようもない。評価とはしょせんは上司との相性にすぎない」 という思考に我々が陥りがちなのはなぜでしょうか。それは会社からの評価を、「仕事の目的」 にしているからではないか、と気付くようになりました。

評価を目的にしてしまうのは、ゴルフでスコアを目的にするのと似ていますね。「14番ホールの池ポチャがなければ90を切っていたのに」、「最後の18番のパットが入っていれば80を切れたのに」 と、どこまでやっても、ゴルフでは満足を得られないの同様、ビジネスマンの出世ゲームも、社長まで階段を登りつめなければ満足を得られないということになってしまいます。

たとえ会社からの評価が低かったとしても、落ち込むことなく、それはひとつのメッセージとして大切に受け止め、実力をつけることを仕事の目的にする。それがプロとしてのあるべき姿だと思います。

私もただの人間である以上、理屈はわかっていても、そんな境地に達するのは極めて難しいです。それでも、一歩でも近づいていけたらと思っています。
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